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平塚版 公開:2021年12月9日 エリアトップへ

新シリーズ「歴史ばなしの舞台を行く」【1】 石橋山・石橋山合戦と真田与一の奮戦

文化

公開:2021年12月9日

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石狩山古戦場の石碑
石狩山古戦場の石碑

 いつも「ひらつか歴史ばなし」をお読みいただきありがとうございます。平塚にゆかりのある人物のエピソードや平塚で起こった出来事などを物語形式で掲載してきましたが、その物語の実際の舞台も紹介したいと思います。こちらも不定期連載ながら、本編同様ご贔屓いただければ幸いです。さて第一回は、「石橋山合戦と真田与一の奮戦」の舞台となった石橋山を紹介しましょう。

 小田原市の早川駅から国道135号線を西に2Kmほど行くと道路情報板があり、その右側の分かれた坂道に入っていきます。そこから道なりに行くと、鉄道の上を越えた直ぐの所に「源頼朝挙兵之地 石橋山古戦場」と記された石碑が建っています。

 治承四年(一一八〇)八月十七日、伊豆に流されていた源頼朝は、伊豆の平氏の目代(現地支配を任された者)である山木兼隆を討って平氏打倒の兵をあげました。ですので、本当の挙兵の地は伊豆の韮山ということになりますが、本格的な戦闘が行われた地としては石橋山といっていいでしょう。

 頼朝は、伊豆・相模の武士を中心にした300騎で、父の義朝が本拠地とした鎌倉を目指します。平塚市域に本拠地を構えた岡崎四郎義実と真田与一義忠の親子、土屋三郎宗遠、豊田次郎(五郎)景俊らもこの軍の中にいます。

 八月二十三日、石橋山まで来たときです。平氏から頼朝討伐の命を受けた大庭景親の軍勢3000騎が立ちふさがりました。頼朝軍の10倍です。ですが、頼朝には勝算がありました。味方の三浦氏の軍が景親軍の背後に迫り、挟み撃ちのような形になっていたのです。

 しかし、折からの雨で三浦軍は酒匂川を渡れずにいました。この機を逃さず景親軍は戦端を開きます。頼朝も真田義忠を先陣にして受けて立ちますが、多勢に無勢、散り散りになって箱根山中へ落ちていきました。

 古戦場碑の手前を左に曲がります。東に青い相模湾を望みながら進むと「佐奈田与一義忠討死の地(ねじり畑)」の標柱があります。真田義忠と敵将の俣野景久が組み討ちをした場所と伝えられています。

 くんずほぐれつの闘いだったこともあったのでしょうか、この地で出来た作物はねじれていたといいます。今は、辺り一面のミカン畑です。

 戦いには負けたとはいえ、この石橋山が、史上初の武家政権である鎌倉幕府を立ち上げる出発点であったことは間違いありません。来年度の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』でも重要な場面の一つとして描かれるはずです。この戦いでは主人公である北条義時の兄の宗時も討ち死にしています。

 ねじり畑から先へも山に向かって道が伸びていきますが、真田義忠が駆け抜けた道なのだろうかと、思いはふくらみます。文/平塚てづくり紙芝居の会 たもん丸

ねじり畑
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