二宮町二宮在住の板嶌憲次郎さん(53)は、10代の終わりに網膜色素変性症を発症し、30歳の頃、視覚障害者に。白杖を用いた生活を経て現在、盲導犬と共に暮らしている。コンビニのタッチパネル会計や駅の無人化など、4月から合理的配慮の提供が義務化された今も、困る場面は少なくない。板嶌さんは「僕たち障害者がいない前提の社会構造がある。僕の意見もひとつの解でしかないので、それぞれの立場で社会のあり方について考えてみて」と語り掛ける。
横浜生まれ、茅ヶ崎育ちの板嶌さん。1999年に、結婚を機に二宮町に移住した。高校生の頃、夜になると見えづらくなる「夜盲」が始まり、だんだんと視力は弱まっていった。
まなざしに違和感
45歳で盲導犬と共に生活を始め、現在行動を共にしているテスは2代目。共に登壇した学校での講話や、街で声をかけられる機会を重ねる中で、子どもたちだけでなく、大人の反応も「盲導犬」への注目に止まっていると感じ、違和感を覚えた。「盲導犬がすごい、えらいという話に終始してしまいがち。大切なのは、なぜ僕たちが盲導犬を連れているのか、ということ。犬を通して、目が見えない人たちの立場から見た社会や、生活している環境について、考えてもらえればうれしい」と板嶌さんは話す。
さまざまな視点から
インクルーシブサーフィンやクライミング、ヨット、ゴルフなどのスポーツのほか、二宮の手話サークルにも通っている。
車いす利用者や聴覚障害者と接する機会ができたといい、「障害者への理解を深める一番の方法は一緒に行動すること。僕だって知らないことばかりです。車いすの人に、『雨の日はどうするの?』と聞いたら、『濡れるだけ』と返ってきてハッとしたこともある」と苦笑する。視覚障害者にとっては必要な点字ブロックも、車いす利用者にとっては邪魔になってしまう場合もあるといい、本当の「インクルーシブな社会の実現」には、多様な視点が不可欠だと感じている。
「ちょっと立ち止まって、想像してみることが大切」と板嶌さん。4月21日には「盲導犬のとなりにいる私」と題した会を、行きつけのカフェ「旅花」で出会った人々と共に、ラディアンミーティングルームで開いた。「僕が普段、コーヒーを飲みながら話している暮らしの中で気づいたことを、いろんな人に聞いてもらおうと皆が企画してくれた。当事者の声が正解として捉えられがちだけど、必ずしもそうじゃない。すぐにアクションするのではなく、一旦それぞれ考えようというメッセージを投げかけたい」と板嶌さん。「とはいえ、音が鳴らない信号機の前で、視覚障害者が困っていた場合には、『青ですよ、赤ですよ』と声をかけるなど、すぐに行動に移してほしいけれど」と笑った。
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