県道26号線沿いに「松輪入口」の信号があります。この辺りから県道は、やや下りぎみになります。現在は「ウインザーハイム三浦」の地番は「南下浦町金田」ですが、少し三崎方面に行くと「三崎町六合」になります。かつては片側は深い谷でした。ゆるい坂道の辺りを「山林なり、古は松樹六万本ありしと云」(『新編相模風土記稿』)と記されている如く、「六万本山」の小名であったのでしょう。 三崎警察署を少し下りたバス停の脇に巡拝塔が祀られています。「三浦市教育委員会」が平成3年に発行した『三浦の文化財』第十七集の中で、「六万本の六十六部塔」として紹介しています。それには次のように記されています。
「三崎警察署を下った坂の途中に『六十六部廻國正念上座』と刻した六部の供養塔が石祠の中に祀られている。この碑は六万本の六部さまといって、古くから伝わる哀しい話がある。昔、この辺りは深い谷戸で樹木が欝蒼として茂り、杉の木(注、ここでは松ではなく杉としています)が六万本もあったところから六万本という地名がある。当時は人通りもまれな寂しいところで、里人は、しばしば追い剥(は)ぎや盗賊に襲われていた危険なところであったという。宝暦3年(1753)二月武州在の江戸四谷に住む寂光という六部が、廻国巡礼の途中ここを通りかかったところ、折悪しく盗賊に出会い、丸裸にされて殺されたという。のちに里人たちはこの六部の死を悼み、淋しい道の傍に供養塔を建立し、ねんごろに弔(とむら)ったと伝えられている」とあります。 さらに、こんな話も。『三浦の伝説と民話』(昭和52年第三版)として、「三浦市観光協会」発行の中に、「ある夜、ボテふり(魚を籠に入れて天秤で売り歩く)の出口三五郎が、商売の都合で夜おそく六万本を通ると、真暗い木の茂みの中に何か物音がするので、こわごわ天秤棒を構えて音のする方を見据(す)えると、茂みの中から急に赤い光がきらめいた。すると、この異様な光にびっくりした人影が、三五郎の前を逃げ去った。盗人だった。三五郎が不思議に思って、暗い草むらをさがしてみると、その光ったものは六部様であった。三五郎は、危難を救ってもらった御利益を得として、六部様を祀り、おまいりを欠かさなかったという」。
「六十六部」とは、法華経を六六部書き写して、日本全国六六か国(畿内、七道の国々)の霊場に一部ずつ奉納してまわった僧を言うのですが、また、何事か自身に不幸を持し、それを除くため諸国の国分寺や一の宮を巡拝した人で、鈴を振り、仏像を入れた厨子(ずし)を背負い銭や米などを請いながら巡礼して歩いた人達でしょう。旅の途中で亡くなることもあり、各所に「供養塔」が建てられています。ここでは「六万本」とのかかわりが、何とも印象に残ります。
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