三浦の散歩道 〈第111回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
「猫石」のわきの道を北へと進み、「若宮神社」方向から来た道へと当たり、右へ曲がり、飲料の自動販売機の前を過ぎて、左手に見える「小牧建設」の前の坂を上がると、「安楽寺」に至ります。
『新編相模風土記稿』には、「妙音寺」(下宮田飯森)の項の終わりに、「子院安楽寺本尊阿弥陀、円乗寺地蔵を本尊とす。以上域外に散在す。」と記されています。
『初声村誌』には、宗派は真言宗、古義派とあり、妙音寺末の資格とし、その縁起について、次のように記しています。
「古老ノ口碑ニ宮田太郎貞明ナルモノ此ノ寺ヲ建立ストイフ、貞享二年(一六八五)本村ノ田中喜左衛門ナルモノ堂宇ヲ再建シテ今ノ地ニ移スト云フ、旧地ハ寺ノ西方ニ古屋敷ト称スル旧跡アリ。檀徒三百二十二人」。以上は浜田勘太著『初声の歴史探訪記』の転載ですが、同氏は、旧寺地については名を聞いていないとし、檀徒の数は、妙音寺の三三二人の書き誤りかもしれないと、記しています。
この寺は「古義真言宗」の寺ですが、墓地内の墓石や塔婆を見ると、日蓮宗や浄土宗の墓などが見受けられますので、墓地は「里の墓地」なのでしょう。
この寺に注目すべきものは二つあります。一つは、「石階供養塔」です。碑の上部に阿弥陀如来の座像が月輪の中に浮き彫りされていて、下側に「石階供養塔」と刻まれています。塔の右側面に刻まれた文字は不明ですが、供養を願う文か、と思われます。左の側面には建立された年月日の「弘化二年(1845)三月」の銘が刻まれています。
さらに注目すべきは「権大僧都法印明慶不生位」と銘のある墓です。蓮華請座に「惣筆学門弟中」の文字があります。寺子屋の門弟のことです。この墓の主「明慶」は寺小屋を開いていたのでしょう。下の台座に「秋谷村、子易(こやす)(安)、曲輪(くるわ)(久留和)、和田村、高円坊村、上宮田村、菊名村」等が刻まれています。なんと、門弟が三浦半島の西部から南部に渡っているのです。
なお、向かって右側面に「帰依(きえ)仏の外(ほか)に枝なし。分陀利花(ぶんだりか) 御手に引れて西へ西へと」と刻まれています。「分陀利花」とは「蓮花」のことのようです。左側には、出身地と没年が記されています。没年は慶応元年(1865)七月二十七日となっています。
また、台座の右側には、この地の氏名、大井、森、小牧、三留の各々の氏名が記されています。墓建立の施主であったのでしょう。 さらに、この安楽寺への石段の下に、屋根付きの所に「六地蔵」が祀られています。上・下三体ずつ、いずれも袖なしの羽織を着ています。 (つづく)
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