1964年東京オリンピックの聖火ランナーを務めた 黒田 義夫さん 子易在住 68歳
孫と見る聖火が楽しみ
○…2020年のオリンピック開催地が東京に決まった。日本中が歓喜にわく中、49年前に伊勢原代表の聖火ランナーを務めた記憶がよみがえる。1964年に開かれた東京オリンピックで、二宮から大磯まで1・5Kmの区間を、補佐役の副ランナー、30人ほどの伴走者たちと一緒に走った。「トーチが結構重くて大変だった」と振り返る。
○…市内子易に生まれた。子どものころから体を動かすことが好きな活発な少年で、中学・高校では卓球部に入部した。高校卒業後は町役場に就職。若い人が少ない役場の中で、当時19歳だったことから、中郡の役員に推薦され、ランナーに。「自分のところで火を絶やしちゃいけないと思うと、責任を感じた」とそのときの心境を語る。本番を迎え、緊張して走る中、励みになったのは沿道で応援してくれた人たちだ。「園児たちの声援が、すごく印象に残っている。一生の思い出になった」と話す。
○…その後は役場の人事部を長く担当し、職員の福利厚生に努めた。その間バレーボール部や野球部を立ち上げ、スポーツも活発に行った。2005年に退職するまで市役所で勤務を続け、現在は奥さんと二人暮らし。趣味は登山で、月に一度は奥さんと一緒に山に登るという。「頂上に立ったときのさわやかさは最高」と醍醐味を語る。最近では4歳と1歳の孫の顔を見ることも楽しみのひとつ。「7年後、成長した孫と一緒にオリンピックを見ることができれば」と微笑む。
○…戦後復興を目指してきた日本にとって、東京でのオリンピックは、自分たちが立ち直った姿を世界に伝える意味もあったという。今の日本を当時と重ね、「次の東京オリンピックまでには、震災の爪痕が少しでも減っていれば」と願いを込める。「聖火ランナーとして走ったことは、すごくいい経験。みんなにもこういう思いを体験して欲しい」と未来の聖火ランナーに思いをはせた。
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