「カタァアッタカラ ケェルゾォ(少量の漁獲があったので帰ります)」―佐島で交わされていた”浜ことば”の一例だ。日本の沿岸の港町にはそれぞれ「漁師言葉」が伝承されており、市内でも長井や秋谷、走水などにも同様に独自の言語文化がある。
「日常会話ではあまり使われず、消えゆく言葉。口承の記憶を残したい」。佐島在住の漁師、岩崎健次さん(71)が昨年12月、この地域で使われてきた「浜ことば」を1冊にまとめた。
「佐島の言葉は荒っぽくてケンカしているように聞こえる」。そう言われたことがあるという。漁労関係―港や船の上だけでなく、日常生活の会話にも入り込んでいる。促音(ッ)や拗音(ャ・ュ・ョ)が多く、長音がァやォとなるなど、単語が「短い」のが特徴だ。「海は生死を分けるような厳しい世界。語句が短く強いのは、その影響かもしれない」と分析する。
定年後、タコ漁師に
両親ともに漁師の家庭。漁に出る父の背中を見て育った。遊び場は船や佐島の浜。漁場や天候の見方も教わったが、進路を考える年齢になると、父親からは「陸(おか)に上がれ」と言われた。不漁が長く続いた時期で「漁業を続けていくのは難しいかも、と将来を案じてくれたのかな」と振り返る。自動車メーカーに就職し、定年まで勤め上げた。
地元でのんびり過ごしながら「船のエンジン代にでもなれば」と61歳で漁師に転身。仕事時間に比較的融通の利くタコ漁を始めた。父親の手伝いから40年以上経っていたが、そこで耳に入った「浜ことば」を自然と理解していた。「自分の中に言葉の記憶がきちんと残っていた」
市民記者として発信
佐島への想いをさらに強くしたきっかけは、2011年の東日本大震災。避難所で地元の町内会長が80歳を超えてもなお地域のために尽力する姿に心を動かされた。「自分も佐島のために何かできないか」。町内会の役員になり、さらに地元紙が養成する市民記者に手をあげた。佐島や漁業に関連した記事を手掛ける中で、取り上げたのが浜ことば。「この町の人がどのような言葉を使って生活してきたのか、このままでは忘れ去られてしまうのでは」。そんな危機感もあった。
同級生からの勧めもあり、これを五十音順に拾って書き記すこと2年近く。耳から耳へと伝えられた”浜ことば”は400語にのぼった。自分がこの地で暮らし、漁業に携わった証でもある。
懐かしさと伝承の想い
今では80代前後の現役漁師が使っているくらいで、浜ことばで話しかけても、標準語で答える・自分からは使わない―という世代が多くなったと感じている。だからこそ「文字にして残すことに意味がある」と語る。
冊子にまとめて、周囲からは「懐かしい、昔を思い出す」との声を掛けられた。佐島観光親善大使の則竹栄子さんは「祖父や父の口調が思い起こされた」と話し、「(岩崎さんは)地元に誇りを持った人。これこそ佐島の宝」と続けた。
調べていて不思議に思うこともあった。佐島には古い時代から伝わる御船歌がある。祝いの席で披露される「誉めことば」は、浜ことばではなく”ヨソイキ言葉(標準語)”が使われているのだ。経緯は分からなかったが、それも佐島で受け継がれた文化のひとつと考えている。
「誇りを持って伝えたい」。その心意気は、地域に届いているはずだ。
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