第1回「茅ヶ崎」 茅ヶ崎の轍(わだち) 協力/茅ヶ崎市文化資料館
茅ヶ崎市内には、1万年以上続く暮らしの営みが「轍」のように残されています。本コーナーでは、地名、道、史跡などを通じて、市の歴史を紹介します。
「茅ヶ崎」という名が文書に初めて現れるのは室町時代。「那智の滝」で有名な熊野神社(和歌山県)の文書に、相模国から訪れたものとして「ちかさき さこの四郎」と「ちかさき」という名をみることができます。今から540年以上前のことです。
その後、戦国時代に小田原の北条氏(後北条氏)が支配した時代の文書に「茅ヶ崎」という名をみることができます。明治時代に「茅ヶ崎町」になるまで、現在の茅ヶ崎、本村、元町、若松町、幸町、新栄町、十間坂と共恵、南湖、中海岸、東海岸南、東海岸北は「茅ヶ崎村」でした。
「茅ヶ崎」という名は、植物のカヤ(茅)に由来するといった諸説がありますが、はっきりしたことは分かっていません。
かつての茅ヶ崎を伝えるものの一つに、江戸時代1604年(慶長9年)に整備された東海道の一里塚があります。当時、塚からは姥島(烏帽子岩)が見えたという記録があります。
【参考文献・茅ヶ崎市史1】
|
<PR>