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茅ヶ崎・寒川 コラム茅ヶ崎の轍(わだち)

公開日:2012.05.11

第1回「茅ヶ崎」
茅ヶ崎の轍(わだち)
協力/茅ヶ崎市文化資料館

 茅ヶ崎市内には、1万年以上続く暮らしの営みが「轍」のように残されています。本コーナーでは、地名、道、史跡などを通じて、市の歴史を紹介します。



 「茅ヶ崎」という名が文書に初めて現れるのは室町時代。「那智の滝」で有名な熊野神社(和歌山県)の文書に、相模国から訪れたものとして「ちかさき さこの四郎」と「ちかさき」という名をみることができます。今から540年以上前のことです。



 その後、戦国時代に小田原の北条氏(後北条氏)が支配した時代の文書に「茅ヶ崎」という名をみることができます。明治時代に「茅ヶ崎町」になるまで、現在の茅ヶ崎、本村、元町、若松町、幸町、新栄町、十間坂と共恵、南湖、中海岸、東海岸南、東海岸北は「茅ヶ崎村」でした。



 「茅ヶ崎」という名は、植物のカヤ(茅)に由来するといった諸説がありますが、はっきりしたことは分かっていません。



 かつての茅ヶ崎を伝えるものの一つに、江戸時代1604年(慶長9年)に整備された東海道の一里塚があります。当時、塚からは姥島(烏帽子岩)が見えたという記録があります。

【参考文献・茅ヶ崎市史1】

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