茅ヶ崎の轍(わだち) 第39回 道編 「生活道路とそのいわれ」協力/茅ヶ崎市文化資料館
地元の人になじみの生活道路をいくつか紹介します。
萩園通りの「花女郎道」
昔、花嫁は花女郎と呼ばれていました。花嫁一行が婚家に着き、籠を開けると花嫁の頭がありません。道筋を探すと、今宿と辻(萩園)の間の畑に首が転がっていたといいます。
違った話では、松尾神社には女の神様が祀られていて、この前を花嫁一行が通ると妬み破談にしたり別れさせてしまったそうです。そこで花嫁行列は本道の萩園通りを通らず、脇にある野道の花女郎道を通ることにしたそうです。
常顕寺付近の
「殿との屋敷の道」
常顕寺の西裏一帯は、江戸時代の萩園の領主・遠山氏の屋敷があったと伝えられ、周辺の道が迷路のように右に左に曲がっています。敵の侵入を防ぐためにこのように造られたそうです。
萩園橋付近の「馬かけ道」
農耕馬を競走させたのでしょうか、村人たちの歓声が聞こえてくるようです。道の端には馬頭観音の碑があります。
共同墓地付近の「茶街道」
「道沿いにお茶の木が植えてあり、5月に葉を摘み、蒸してから手で揉み、自家製のお茶を作っていた」と地元の人は言います。
【参考文献/茅ヶ崎市史】
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