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茅ヶ崎・寒川 コラム

公開日:2020.10.16

茅ヶ崎市文化資料館
おうちでミュージアム
連載Vo.5

  • (写真上)浦島・乙姫が描かれた万祝(大正〜昭和初期頃)(写真下)仕事着として使用されたため、袖が筒袖になっている万祝(大正時代)

大漁の証 万(まい)祝(わい)



 相模湾に面した茅ヶ崎は海から豊富な幸を得てきました。漁労は「板子一枚下は地獄」という言葉が伝えるように危険を伴う生業。一歩間違えると命を落とす可能性のある命がけの仕事でした。また「漁は授かりもの」と言われたように偶然性の高い生業でもありました。それだけに、安全や豊漁を祈願する信仰心は他の生業に比べると大きいものがありました。大漁を得たときの喜びは今では想像もできないほどのものであったことでしょう。厳しい海と魚との闘いに勝ち、大漁を得た祝の品が、「万祝(まいわい)」でした。



 俗にいう千両・万両といわれる予想を超えるような大漁のとき、網元が漁に従事するノッコ・ヒキコと呼ばれる人々と祝宴を催し、そこで引き出物として配られたのが、万祝と呼ばれる着物でした。



 文化資料館では3枚所蔵しており、今回紹介するのは、イワシの巾着網漁での大漁を祝って配られたもの(写真上)と、日露戦争の戦勝祝に作られたとても珍しいもの(写真下)です。

 

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