今日8月11日は「山の日」。初めて迎える国民の祝日にあわせ、本紙では平塚と深い関わりをもつ丹沢山系の大山(1252m/伊勢原市)について、宿坊おゝすみ山荘(大山490)の第37代先導師・佐藤大住さん(64)=写真=に聞いた。佐藤さんは平塚江南高校の23期生でもある。
「平塚市内の校歌には、『大山』や『阿夫利』などの歌詞が多く見られます」。郷土の歴史文化を永く研究し、講演も行う佐藤さんはそう指摘する。
大山は別名「阿夫利山」「雨降り山」とも呼ばれる。古事記によると、大山山頂にある大山阿夫利神社の本社には大山祗神(おおやまづみのかみ)が鎮座し、標高700mの下社にある浅間神社には娘の木花咲耶姫(このはなさくやひめ)が祭られている。
実際に校歌を調べると「大山も丹沢も夢よぶ姿」(城島小)「楽しく仰ぐ富士阿夫利」(吉沢小)「ほほえむ阿夫利」(神田中)「きびし山富士と阿夫利のたたずまい」(中原中)など数多い。平塚江南高校OBの佐藤さんによると、同校には「阿夫利おろし」という名の応援歌もあるそうだ。
古くから大山は山岳信仰の対象とされ、江戸時代には庶民を中心に「大山詣り」が流行した。関東一円から大山講と呼ばれる地域や職業ごとに結成された団体が山頂をめざし、先導師が水先案内人を務めた。
小田急線が開通する1927(昭和2)年までは、平塚が大山の玄関口だった。1887(明治20)年に開通した東海道線のほか、平塚から伊勢原を経由して大山へ向かう乗合馬車などが参詣者の足となった。
東海道線の開通後は年間およそ2万人の庶民が駅を利用し大山に向かったという。「大山詣りは一家の代表が行うのが通例で、女性の登山は禁じられていました。さらに初参りは数え年で15歳からという習慣があったことも踏まえれば2万人は多い。平塚の発展にも寄与しました」と佐藤さん。
大山詣りの名残りは現在も残る。平塚市博物館によると上吉沢の大山灯籠=写真=は夏山開きの間、大山に向けて灯籠に灯をともす習俗を今に伝えている。「大山」と刻まれた道標も市内に26例あり、主要な大山街道も各地で見られる。
伊勢原市によると、昨年度、観光や登山、参詣で大山を訪れた人は93万人。今年4月には国の「日本遺産」に大山が認定されるなど知名度は年々上昇している。 さらに今夏は「山の日」にちなんで、様々な夏山イベントが開催、連日にぎわっている。佐藤さんは「平塚からもぜひ大山へお越しください」と話していた。
大山の夏山シーズンは8月17日まで。
平塚版のトップニュース最新6件
|
|
|
|
|
|