平塚(まち)の足跡 〜町名探訪〜 第80回 「田村」
国道129号線と県道44・47号線の交わる田村十字路が中央に位置する、市北東部の地名。
田村という名は水田の村という意味を持つとされ、「四ノ宮に水田なし。田村は元四ノ宮の内、ここにのみ水田あり。ゆえに田村と称す」と記した書物が残されている。平安時代、坂上田村麻呂が陸奥征伐の際に訪れたことにちなんだという説もある。
鎌倉時代の武将三浦義村は、八坂神社付近に「田村館」を構え、当時2歳の将軍藤原頼経と父道家をしばしば招いたという。その際、道家が京都から伴った楽人の里太鼓が、田村に伝わる「田村ばやし」の源流とされる。
田村十字路は江戸時代、大山みちが田村の渡しを渡り厚木みちと交差する要衝として、茶屋が建ち並ぶなど賑わいを見せた。相模川に架かる神川橋のたもとには「田村の渡場跡の碑」が建立されており、往時を偲ばせる。
【協力▽平塚市史編さん担当/参考文献▽『神田地名考』『平塚市地名誌辞典』『平塚市郷土誌事典』】
■次回は花水台の予定
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