写真でたどる東京五輪 二宮の野谷さんが撮影
1964年に開催された東京オリンピックは地元にも来ていた。大磯町と二宮町を通る国道1号線を聖火ランナーが駆け、ヨット競技の選手村が大磯プリンスホテルに設けられた。当時の様子を二宮町の元写真館館主・野谷寿男さん(90歳)がカメラで記録。今も写真を保管していた。
あの日は早朝からテレビで生中継を見ていた野谷さん。「2020年の開催が東京に決まって、前回の東京五輪の時に撮った写真があるのを思い出した」という。倉庫を探すと、聖火リレーを先導するボンネットバスや旗を振ってランナーを応援する沿道の人々、世界の国旗がはためく下で挨拶する大磯選手村村長などの写真が見つかった。
49年前の東京オリンピックでは大磯プリンスホテルが大会本部役員とヨット選手の宿舎になった。「毎朝、役員を乗せて代々木へ向かうバス3台と、江の島のヨットハーバー行きのバス2台がホテルから二手に分かれて出発していった」。ヨット選手は裕福な国の出身者が多かったそうだ。
当時、野谷写真館は同ホテル内に売店を出しており、「フィルムが飛ぶように売れた」。夕方、宿舎に戻ってきた役員や選手からフィルムを預かる。大会開催中の約2週間は暗室にこもり、睡眠時間を削って現像した。手が回らないほどの忙しさで、全自動の現像プリンターを持っていた鎌倉の写真館に仕事を依頼。野谷さんは二宮と鎌倉をオートバイで1日に何度も往復したという。
2020年へ目標は長生き
野谷さんは白黒の写真とともにオリンピック関連の資料も残していた。聖火台や国立競技場、駒沢体育館などをデザインした5種類の記念切手、聖火リレーの通過地点「鹿児島9・9」のスタンプを押した封筒などだ。これらの中から選び出した資料30点以上をパネル板に貼り付け整理した。
「人生で2度の東京オリンピックを見られるように長生きしたい。新しい目標がひとつできた」。早くも7年後を待ち望む。
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