1890年に秦野で初めての水道「曽屋区水道」が完成してから、今年で125年。それ以前から曽屋の土地には清廉な湧き水があり、先人たちは水路を引き、生活用水を得ていた。同地区には、用水路跡の一部が残っており、当時の様子を垣間見ることができる。
曾屋神社(曽屋1の6の10)の守山文夫宮司によると、今から1200年以上前、曽屋地区には豊かな湧水があった。人々は水の恩恵に感謝し、水源に「水を司る神様」を祀るために建立したのが井之明神社(現曾屋神社)だという。
それから数百年後の江戸時代、住民は同神社境内の湧水と乳牛(ちゅうし)水神社の湧水を用水路に流して、飲用や洗い物等に使用してきた。この用水路に沿って民家が立ち並ぶようになり、にぎわいを増していったという。
1850年頃、水の使用量が湧水量を上回るようになっていった。危機を感じた井之明神社の氏子、佐藤安五郎が私財を投じ、流れ出る湧水を集約するトンネルを作り、水量を確保するために用水路の整備を行ったという。この用水路の一部が、曾屋神社北側の市道342号線を数十メートル進んだ右手、民家の脇にひっそりと残っている。
近代になり、人口の増加とともに用水の汚染が深刻化。1879年には用水路を発生源としたコレラが流行。これを契機に水道建設が進められ、1890年、陶管による長さ約5Kmの曽屋区水道が完成した。全国で3番目という早さだった。
その後、曽屋区水道が関東大震災(1923年)で壊滅的な被害を受けたことで、陶管から鋳鉄管水道へと変わっていった。
水源復活へ
地域に親しまれていた曾屋神社境内の水源は、1950年代を境に使用されなくなり、長い間土の中に埋まった状態だった。
同神社関係者は、2000年頃から「歴史的価値がある湧水復活」を目指し、資料を基に水源のありかを探ったという。
同神社の御神木とされていた切株の近くを地中約3mまで掘り進んだ時、当時の水源と思われる囲いを発見。泥を取り除くと、勢い良く濁りのない水が噴き出した。守山宮司は「これで復元できる。本当に安堵した」と当時の心境を語る。
発見された水源の整備は2004年に完了。かつての名称「井之明神社」に因み、「井之明神水」と名付けられた。
守山宮司は「秦野の水の歴史は長い。多くの方に親しんでもらいたい」と話している。
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