秦野市の市民支援隊(杉崎貞夫代表・27人)が7月11日、宮城県南三陸町にある平成の森仮設住宅(畠山扶美夫自治会長・160戸)で炊き出しを行った。同支援隊は、2011年から東日本大震災の被災地を8回訪問し、同県の女川町や南三陸町の仮設住宅で物資の提供や炊き出しなどの支援活動を続けてきた。住民の復興住宅への移住が始まることなどから今回が最後の訪問となる。
支援隊の活動が始まったのは2011年10月。当時女川町では針浜(はりのはま)の仮設住宅34戸に津波で家を失った人々が暮らしていたが、戸数が少ないことから支援が後回しにされ、大規模な仮設住宅に比べて物資が不足していた。そのことを現地に行った知り合いから聞いた発起人の相原和枝さんは、杉崎代表や自身が会長(当時副会長)を務める秦野市手をつなぐ育成会の会員などと9人で現地へ向かった。
座席いっぱいに食料や布団、暖房器具などを積んだ大型バスを迎えたときの心境について、当時の同仮設住宅に住んでいた斉藤桃子さんは「あの感動は今でも忘れられない。大事な人や家が流され何もなかったときに、秦野から希望を届けてもらった」と振り返る。
女川町の復興に目途が立ってきたことから、4回目以降は南三陸町の平成の森仮設住宅に活動場所を移した。物資が充実してからも支援隊の炊き出しは、娯楽の少ない仮設住宅で暮らしの楽しみとして喜ばれた。自治会や婦人会の「女子会」メンバー、女川で出会った人たちも一緒に準備をし、会話を楽しんだ。今回も仮設住宅の駐車場にカレーやたい焼き、ポップコーンなどの露店に、300人以上の住民が訪れた。
同仮設住宅には当初218戸570人が暮らしていたが、今では160戸389人まで減り、2016年の4月以降に復興支援住宅への移住が決まった人もいる。相原さんは「無料の炊き出しを続けるべきか考える段階にきた。区切りのため、協力してくれた現地の人たちへの感謝を込め、最後の訪問を決めた」と話す。
「支援」から「交流」へ
4年間の活動の中で、隊員たちは現地の人と交流を深めてきた。相原さんは、女川町の斉藤さんらとすっかり仲の良い友人になり、今では月に数回は電話で話すという。初回から参加している娘の相原成美さん(39)も、悩み事などを頻繁にメールでやりとりをしている友人がいて、その子どもたちとも交流を重ねてきた。
成美さんは、現地を訪れる度、人生で3回津波を経験したという阿部喜三郎さん(93)の話に耳を傾けてきた。阿部さんは今回も「伝える義務があっから来てくれる人には話すの。津波が来たら、距離があるところではなくて高いところに逃げるんだよ」とゆっくりと語った。成美さんは「毎回、阿部さんや現地の友人と会うのが楽しみだった。これからは支援の対象ではなく、良き友人として付き合っていきたい」と話す。
11日の夜には、仮設住宅の集会所で宴会が開かれ、現地の人と支援隊がこれまでを振り返り語り合った。畠山会長は「最終的に高台に移れた後も皆さんとのお付き合いを続けたい。暮らしを取り戻す姿を見て欲しい」と話した。杉崎代表は「今回で最後は寂しいというお声を頂いた。畠山さんの新築祝いに行けるのを楽しみにしている」と話した。
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