秦野市に伝わる盆の伝統行事「下大槻百八炬火」。担い手は同保存会(原孝通会長=人物風土記で紹介)で先祖供養、五穀豊穣、無病息災を願い、今年も8月14日(金)の夕方から3基の神輿が水田の畦道を練り歩く。沿道には煩悩の数と言われる108つの松明が灯され、斎藤別当実盛を模した藁人形に火を放つ。
本部は健速神社近くの田中屋酒店(下大槻887)裏。水田地域一帯を夕方から万灯、なでしこ、子ども榊神輿と山車、高張・手提げ提灯が太鼓囃子とともに約2Kmを練り歩き、午後6時半頃から畦道の松明が焚かれ、実盛の藁人形がある本部へ向けて歩を進める。
戦中と戦後しばらくは伝統が途絶えたが、昭和50年代に入り、下大槻の長寿会を立ち上げた故・原時之助氏を筆頭に復活させようとする動きが起こった。原氏と復活に尽力し、現在の保存会顧問・黄木義雄さん(83・下大槻)は「子どもの時分に見た行事を、地域の先輩にも手伝って頂いて復活させたんだ」と振り返る。
復活当初、神輿の担ぎ手は80人を超す子どもがメイン。黄木さんも子ども会会長として神輿の先頭に立った。今ではアスファルトの畦道だが、復活当時は未舗装。行事前には地域住民が、神輿の道を作るため草を刈った。時代とともに子どもは減ったが、青年会の万灯神輿となでしこ会のなでしこ神輿も加わり、一度は途絶えた伝統行事も、復活から今年で40周年を迎える。黄木さんは「祈願はもちろんだけど大事なのは行事を通した地域のふれあい」と本懐を話した。
斎藤実盛の伝説になぞらえて
行事の言い伝えは、平安時代まで遡る。もとは源氏の重臣だったが、平家の隆盛とともに平宗盛に仕えた武士・斎藤別当実盛の伝説になぞらえられている。
実盛の最期は、加賀国(現石川県)篠原の戦いで敵方の武将に討ち取られた。実盛の馬が、稲の切り株につまずいたところを討たれ、実盛が稲を食い荒らす害虫になったという言い伝えが残る。この伝説から全国数カ所で農作物の害虫を駆逐し、豊作を祈願する伝統行事「虫送り」が存在する。
下大槻の経緯は明らかではないが、黄木さんは「昔ここらに疫病が蔓延し、除去のために始まったと時之助さんに教わった」と話す。昔からの豊かな水田が広がる下大槻という土地柄も相まって、疫病除去の名目とともに実盛を模した藁人形に火をつけ、「悪いものを実盛に持っていってもらう」という願いのもと、百八炬火は行われているという。
行事の準備は当日。保存会等により、実盛人形もこの日に作られる。竹を骨組みにし、わらを纏わせ、段ボールで裃をこしらえる。里帰りする家族や地域住民など合わせて毎年160人前後に見守られながら人形に火がつけられ、午後8時すぎにフィナーレを迎える。
|
<PR>
秦野版のトップニュース最新6件
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
田原ふるさと公園野菜直売研究所0463-84-1281/そば処東雲0463-84-1282 https://www.kankou-hadano.org/pointinformation/pointinformationguide/point_tawarafurusatokouen.html |
|
|
|
|
|
|
<PR>