平塚(まち)の足跡 〜町名探訪〜 第66回 「新町(しんまち)」
中原地区の中央に位置し、北は東中原1・2丁目、南は大原、西は中原2丁目に接する。
海軍火薬廠の敷地が戦後払い下げられ、昭和48年10月の住居表示でその北半分が「新町」、南半分が「大原」となった。現在は、第一三共株式会社や田中貴金属工業株式会社、山崎製パン株式会社の平塚工場などが集まる工業地帯となっている。
この地はかつて、徳川幕府直轄の中原御林が広がっていた。この御林は家康が、江戸と駿府の往復の途次に行き来した中原街道と往還から、中原御殿が見透かされるのを防ぐのと風致林のために松や﨔、檜を植えさせた。松が最も土質に合い、松樹の御林として中原代官が管理した。「木一本首一つ」といわれるほど、厳しい保安林だったという。
防砂林だった御林も樹木が成長するにつれ、幕府の重要経済林となり、江戸城修理やお台場築造等に活用。明治期に大量伐採され、ほぼ全滅状態になった。しかし植林により砂丘が壊土化し、畑にされたところもあった。
【協力/平塚市市史編さん担当、参考/『平塚の地誌』など】次回は「龍城ヶ丘」を予定。
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