平塚(まち)の足跡 〜町名探訪〜 第72回 「山下」
山下という地名は、高麗山の下の意味から名付けられたもので、県営山下団地周辺はかつて水田地帯だった。
建武2年(1335)9月、足利尊氏が三浦介高継に宛てた下文の中に、山下地内の「三橋、末吉」の地名が見える。正平7年(1352)、新田一族に南朝から足利氏追討の宣旨が出された際、新田一族に加わった相模武士の中には「大磯・酒間・山下」の諸氏の名があった。
永正7年(1510)、伊勢宗瑞が長尾為景に応じ「高麗寺並住吉之古要害」に出兵したと、山下地内の「住吉之古要害」が見えている。地名としては、永禄2年(1559)に作成された『北条氏所領役帳』の大和殿の項にある「中郡山下郷」が初見。
中世においては、高麗寺山城と関連した要害の「住吉之古要害」と、双鶴の郭であった「山下長者屋敷」がこの地にあり、両上杉氏の確執や小田原北条氏の第二防衛線として重要な拠点だった。
【協力/平塚市市史編さん担当、参考文献/平塚市史、旭地名考(今井英雄)、中郡勢誌】
■次回は札場町の予定
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