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旭区版 公開:2024年3月28日 エリアトップへ

生誕100年記念特集 旭区ゆかりの作曲家中田喜直と地域の繋がりに迫る

文化

公開:2024年3月28日

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写真提供=有限会社音楽出版ハピーエコー
写真提供=有限会社音楽出版ハピーエコー

 「めだかの学校」や「夏の思い出」など、今でも歌い継がれる童謡を多数手がけた作曲家・中田喜直。1968年に旭区の柏町に転居し、2000年に亡くなるまでを同地で過ごした。昨年8月に生誕100年を迎えたことに合わせ、中田喜直の功績と、旭区など周辺地域とのつながりについて取材した。

 父は「早春賦」を作曲した章、兄の一次も作曲家という、音楽一家に生まれた喜直。幼少期からピアノに親しんでおり、小学生の時には詩人の西條八十の詩集「日本童謡集」にメロディを付けていたという。

 その後は東京音楽大学(現東京藝術大学)ピアノ科に進学。手が小さくピアニストとしての道は断念したものの、作曲家として表舞台に駆け上がった。

詩を大切に作曲

 喜直の妻である幸子さんによると「喜直は詩を最も大切にしていた」とのこと。「先に詩があり、そこから情景を浮かべてメロディを乗せていた。自分に合わなければ作曲を断っていた」と振り返った。

 サトウハチローとのタッグで、1955年にNHKの依頼で誕生した童謡の名曲中の名曲「ちいさい秋みつけた」も同様。喜直は「サトウさんの詩にはリズムがあり、曲が作りやすい」と語り、サトウさんは「私の詩はすべて中田に回してくれ」と話すほど全幅の信頼を置いていた。

 「夏の思い出」の作詞者である江間章子さんとも名コンビだった。当時尾瀬に行ったことがなかった江間さんが、想像で作詞。喜直も足を向けたことが無かったもの↖の、詩から情景を浮かべ、曲を作り上げたエピソードが残っている。

 多数の童謡を作曲した喜直。幸子さんによると「童謡は言葉からくる温かさ、優しさを感じることができ、聴いて育った子に悪い子はいない」と考えていたという。

万騎が原地区に在住

 1968年に、当時住んでいた東京・三鷹から、幸子さんの実家があった柏町に移住。自然が豊かな環境に住みたかったことから、幸子さんによると「こども自然公園をよく散歩していた」とのこと。現在、こども自然公園には「めだかの学校」の喜直自筆譜の石碑=写真右=が建立されている。

 喜直は晩年、自らが指導する、地元の人を集めた女声合唱団を結成。喜直亡き後は、幸子さんがその遺志を受け継ぎ、「みずばしょう」としてサンハートを中心に活動を継続している。

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