「新しい時代になっても、『世界絶対平和』を」─。市内中沢在住の高瀨聖子さん(71)=人物風土記で紹介=が代表を務める「一般社団法人国連平和の鐘を守る会」は、ニューヨークの国連本部の中庭にある「平和の鐘」を伝承し、その鐘に込められた思いを広く伝えていく活動を行っている。4月9日には、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ市を訪れ、平和の鐘のレプリカを寄贈した。「平和のために考える、相手を尊敬、許し合う気持ちを持ってほしい」と呼びかける。
ニューヨークの国連本部の中庭にある「平和の鐘」。毎年9月に、国連事務総長らが出席する総会で、鐘を鳴らし、平和を祈念する行事が行われている。この「平和の鐘」は、愛媛県出身で宇和島市長を3期務めた故・中川千代治が1954年6月に日本国際連合協会を通じて、国連本部に寄贈したものだ。
千代治は、太平洋戦争に出征し、旧ビルマ(現ミャンマー)に従軍。部下を失い、自身も負傷し気を失った。目を覚ました場所が仏塔だった。そこで「二度と戦争はしてはいけない」との思いを抱いたという。
帰国後、「誰にでも『世界絶対平和』の思いが届くよう、平和の鐘を作り、日本の梵鐘をついて平和を祈りたい」と自身の軍刀と世界26カ国のコインで鋳造した鐘を地元の宇和島市の寺に設置。その後、自費で国連総会に参加。世界各国の大使や、ローマ法王から寄贈を受けた金貨、世界65カ国の貨幣やメダルで再度、鐘を鋳造し、国連本部へ寄贈した。72年に亡くなるまで私財をはたいて300個近い鐘を世界中に寄贈する活動を続けた。
海外に鐘を寄贈
その千代治の思いを引き継いで、「平和の鐘」の伝承と、思いを広める活動を行っているのが、千代治の6女である高瀨さんだ。高瀨さんは、友人からもらった冊子に書かれた国連本部の「平和の鐘」についての記事が、由来や寄贈された経緯が正しく伝えていないことを知り、2013年に「一般社団法人国連平和の鐘を守る会」を設立。正しい由来や経緯を伝えてほしいと国連広報局に改善を申し入れた。その活動が実り、現在は日英の両方の言葉で書かれた説明書が作成され、使用されている。
父親の死後、休止していた鐘の普及活動も始め、千代治の平和への思いの原点となるミャンマーに鐘を寄贈。絵本の制作や、平和の鐘に込められた思いを伝える勉強会なども行ってきた。
4月9日から、ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ市を訪問し、鐘のレプリカを寄贈。現地の学校で子どもたちに鐘の経緯や由来を説明し、絵本を贈呈するなど、その活動は世界中に広がる。
「父の思いは不変」
先の大戦が終わって74年。時代は平成から令和へと続く。体験者や語り部が減っている中で、その体験、平和への思いをどう次代につなげるか。「今の若い人たちは、戦争のイメージがわかない。日本は海外で起きている争いを他人事だと感じているように見える。心に響かせるにはどうすればいいのか。この活動も続けてくれる人をつくっていかないと」と高瀨さんは危機感を募らせる。
先日、高校生から会に平和の鐘についての問い合わせがあったという。「若い人に関心を持ってもらえるのは嬉しい。なぜ鐘なのかとよく聞かれます。それは鐘を鳴らすことで心をひとつにするため。理念や主義、主張、国や宗教も関係なく、みんなが平和のために考え、相手を尊敬し、許し合う気持ちが大切。時代が変わっても父の思いは不変。それをこれからも伝えていきたい」と語った。
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