「元気届けに」走った1160Km 寄稿 横須賀青年八日会 水沢 洋
義援金活動、その先の支援
4月6日深夜1時半─。我々、横須賀青年八日会の有志12人は、先の東日本大震災で甚大な被害に見舞われた被災地に元気を届けるべく集合した。顔を揃えたのは皆、横須賀の若き経営者。数々報じられた悲惨な状況に「居てもたってもいられない」という衝動に駆られ、とにかくできることを始めた面々だ。震災の翌々日から毎朝、我々は駅頭で被災地への義援金を募った。ブログでも賛同を呼びかけたことで、全国各地から少なくない金銭と応援物資が届いた。我々の想いが伝播したのか、この活動への協力者は日を追うごとに数を増していった。最大で40人。会のメンバーだけでなく、立場を越えた支援の輪を広げることができた。
朝の義援金活動で目標額が集められなかったときは、午後も駅頭に立った。所在の明らかでない団体に対して、時には罵声を浴びせられたこともあったが、小さな子どもやお年寄り、障がいのある方からもお気持ちを預かった。集まった義援金の総額は304万2052円。3月末日、1円残らず横須賀市に託した。
被災地への支援は継続が大切だ。義援金活動の後半では、募金が集まりにくくなっていた。その頃から我々は、「次にできることが何か」を皆で話し合うようになった。目指すは「自己完結型の被災地支援」。自分たちの手で善意を届けよう
という考えでまとまった。
先に被災地を巡ってきた小泉進次郎代議士の力添えで、行先は宮城県気仙沼市の小泉中学校に決まった。そこで我々は横須賀の看板でもある海軍カレーの炊き出しを行う。到着予定時刻は午前10時。片道約8時間の旅だ。東北道を北へとひた走り、気仙沼市に入ったが、そこで我々が見たものは想像を絶する光景だった。建物は基礎しか残っていない。崩壊した高架線路の上に住宅の残骸が打ちあがっている。カメラに収めて良いものか迷う。皆、言葉を失っていた。
そして、現地に到着した我々はもっと驚くべき光景を目の当たりにした。これほどまでの極限状態に瀕した被災者たちが、皆しっかりと共同生活を送っているのである。それはハイチを始めとした諸外国の震災時にあったような、暴行や略奪の跡は微塵もなかった。皆が支えあい、助けあって生きている。ボランティアで訪れた我々にまで気を遣ってくれている。「何もできないけど、みんなで写真撮っていかないかい?」そんな嬉しい言葉も頂いた。しかし、彼らは家や家族、大切なモノ、自分の命以外全てを失った人たちである。 日本復興のためには、国民全員が少しでも彼らの痛みを理解し、被災地に目を向けることが大事なのだと痛切に感じた。
※今回のボランティア活動は、多くの賛同者の協力を得て実現しました。この場を借りてお礼申し上げます。
《横須賀青年八日会》横須賀市内の若手企業経営者などで組織。メンバーの経営資質向上とともに地域づくりにも積極関与、小・中学生を対象にした大縄跳び大会などを主催している
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