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横須賀版 公開:2015年8月7日 エリアトップへ

工員養成所で迎えた終戦 池上在住 吉村照子さん(88)

公開:2015年8月7日

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昭和15年頃、横須賀海軍工廠教習所寄宿舎外観
昭和15年頃、横須賀海軍工廠教習所寄宿舎外観

 海軍関連施設が多数あった横須賀では、教育機関も市内に点在していた。工員の養成施設として、昭和14年に海軍工廠内から移転したのが、池上工員養成所だ。現在の池上3丁目から平作8丁目一帯に、校舎や数千人が生活する宿舎が広がっていたという。所内の技術研究所実験心理研究部で適性検査官として働いていたのが、吉村照子さん(88)。地方から集まった徴用工員の職工適性を判別する試験を担当していた。「”月月火水木金金”というほど、休みはありませんでした」。女学校時代も、勤労奉仕で横須賀郵便局や海軍に納める菓子工場などで働いていた。「学友との思い出は『愛国の花』を休み時間に歌ったこと」と目を細める。卒業後、軍事関係の施設で働いていた学友も多く、若い女性たちも、重要な働き手として駆り出された時代だった。

 終戦時の記憶も鮮明だ。8月15日。施設の国旗掲揚塔の周辺へ、米軍の艦載機からの激しい機銃があった。それが止んだ12時。玉音放送が始まった。実はその3日前、通信部が「降伏」に関する無線を傍受したことを、内密に聞かされていたそうだ。「どういう意味か分からなかったが、(玉音放送で)やっぱりそうなんだ、と少しずつ理解しました」。その日を境に、工員たちが地方へ帰る中、宿舎は解体され、木材などはあっという間に持ち運び去られた。今、それらの場所には学校や公営住宅が立ち並び、当時の面影は全くない。「池上にこうした施設があったこと、配給も限られ何もかも不自由だった戦時下の暮らしなど、今の人には想像できないでしょうね」

  *  *  *

 戦後、21歳で結婚。夫は沖縄戦を経験し、引揚船の業務で浦賀に来ていた縁で出会った。「しらゆり部隊と行動を共にしていたこともあり、多くは語りませんでしたが、しばらく苦しんでいたようです」
 

戦後70年 語り継ぐ戦争の記憶

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