初の作品集「風-異次元」をまとめた 熊沢 淑(よし)さん (熊沢淑子)高倉在住 85歳
二足のわらじを履き続けて
○…小学校の教諭をしながら、36歳で美術家という新たな道に挑戦し、毎年の展示会に作品を発表してきた。「私が死んだら、生み出した作品は必要なくなり灰になるだけ。記録にのこしたい」。85歳。初めての作品集をまとめた。1968年の第7回神奈川県女流美術家展に出品したデビュー作から、休むことなく創作を続け、作品集には81点を収録した。「編集に携わると、たくさんの人にお世話になったと実感した。その出会いが無ければこれまで歩いてこれなかった」と思いを語る。
○…平塚高等女学校を卒業し、19歳で二宮小学校の教員に。担任が全ての教科を教えるのだが、特に図画工作の指導に悩んだ。先輩講師に相談すると「自分で描いてみないとわからない」と言われ、近所の絵画教室へ通うことにした。「何をしても褒めてくれる先生で、楽しかった」。自ら学ぶことで自信を深め、指導した子どもたちも児童画展などで入選や受賞をした。「子どもの成長は喜びだった。保護者も大変喜んでくれた」と微笑む。
○…教える楽しさを実感する一方で、美術家としても表現を追求していく。油絵具からアクリル、鉛筆と画材を変え、さらにカンヴァスをミシンで縫う独自の発想を作品にしていった。その表現方法は高く評価され、県近代美術館賞を3度も受賞した。現代美術家として創作の源にあるのは、「風に吹かれヒラヒラと舞い落ちてゆく竹の葉の軌跡。あっという間の美しさ」という。
○…小学校では、もって生まれた子どもの個性を伸ばす「造形教育」の研究に力を入れた。美術家と小学校教諭の二足の草鞋を履き続けてきたが、創作は教育への考えを新たにし、教えることが自身の作風にも影響を及ぼした。「作品集を作って終わりではない。周りからの叱咤激励もある。これまでが土台。これから新たな表現の世界を追い求めたい」。目を輝かせた。
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