映画『Diary』を製作し、茅ヶ崎映画祭で上映する 山本 久美子さん 浜須賀在住 58歳
「母の声が聴きたかった」
○…「人が死んでいくということはどういうことなのだろう。最後まで、追いかけたい」。2012年に母の大腸がんが発覚し、1年9カ月にわたる闘病記をビデオカメラで撮影、40分の映画にまとめた。医師の治療方針説明や、抗がん剤投与の瞬間、食事の風景といった日常の中、無口な母だったがカメラを向けると、ポツポツと語り始めた。「母の声が聴きたかった。カメラがそれを可能にしてくれました」
○…鎌倉で生まれ育った。東京外国語大学ではペルシャ文学を専攻。渡英し、大学で博士課程を修了し、イランの民族叙事詩『シャー・ナーメ』の変遷に口承が与えた影響を考察した研究書など2冊を出版した。母が茅ヶ崎に購入した現在の家に帰国したのは34歳の時。証券会社での翻訳や、東京大学教養学部で英語を教えながら大学院でイラン映画を研究した。
○…「久美子」。ある日、珍しく母から助けを求める声がかかった。ふすまを開けると動けなくなった母がいた。同じ家にいながら仕事を理由にすれ違い、食欲がないと相談を受けても「病院に行ったらいいんじゃない」と突き放した矢先だった。大腸がんでステージIV、余命数週間。映画関係の友人に記録撮影を依頼したが、逆に、あなたが撮りなさいと、ビデオカメラを渡された。
○…合言葉は「カメラする」。週末にリビングでカメラを回しながら母の幼い頃や亡き夫との馴れ初めの話を聞く時間が、互いのわだかまりを解いていった。「いつしか呼び名が“あなた”から“ママ”に変わった」。母の最期は、穏やかに訪れる。「全く苦しまずに逝った。その呆気なさに、思わず笑ってしまった」と振り返る。「死とはなにか。母が最後に教えてくれました。ありがとう。私はママの娘だったんだよ」
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