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日本国憲法の制定過程から学ぶ 財閥解体と岩崎財閥 〈寄稿〉文/小川光夫 No.76

公開:2011年7月8日

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旧岩崎邸
旧岩崎邸

 戦後、財閥解体が行なわれ、三菱商事にも解散命令が下され会社は細分化した。三菱の称号も三菱信託は朝日信託銀行になるなど制限された。また財閥家族にも重い財産税が課せられ、他の財閥家族と同様に三代目当主岩崎久弥(ひさや)家族も東京下谷区茅町の1万5000坪の中にあった邸宅を後にした。旧岩崎庭園は旧古河庭園と同じようにアメリカに接収されたが、現在では東京都が管理している。東京大空襲で三井財閥の邸宅は焼失してその豪華、絢爛な装いは知ることもできないが、この旧岩崎邸の素晴らしさは目を見張るものがある。岩崎邸は明治29年(1896年)に岩崎久弥の本邸として建てられたもので洋館と和館とが併置されているところに特徴がある。西洋木造邸宅である洋館とスイスの山小屋をイメージに建てられたとする撞球室(ビリヤード室)はイギリス人のジョサイア・コンドルが建てたものである。私も以前、旧岩崎庭園を訪ねたことがあるが、ジャコビアン様式を基調としたコンドルのデザインは鳩山御殿にもない繊細なデザインが施されていた。しかし、橋本雅邦が描いた書院造りの和室の壁画は、残念ながら、一時管理を怠ったことからほとんど肉眼では見ることはできない状態にある。

 三菱財閥ほど、国との関わりを大切にし、良いことも悪いことも国に従い共に生きてきた企業は数少ない。それは代々、岩崎家が引き継いできた宿命のようなもので、初代岩崎家の弥太郎が政府の台湾出兵に際して軍需輸送を一手に引受けたこと、2代目の弥之助が赤字財政に苦しむ政府のために丸の内10万坪を高値で買い取ったこと、3代目久弥は政府の近代化路線に応えていったこと、そして4代目の小弥太に至っては、第二次世界大戦時の日本政府を三菱の総力をあげて支援したことである。

 三菱財閥はこうした政府への後押しによって形成され潤ったことは事実であるが、また戦争に加担したために解体され岩崎家の財産も没収されることになった。
 

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