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日本国憲法の制定過程から学ぶ 帝国憲法改正案特別委員会と芦田均 〈寄稿〉文/小川光夫 No.80

公開:2011年8月5日

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 昭和21年(1946年)6月28日、衆議院本会議は終了したが、一方ではその日に72名からなる衆議院帝国憲法改正案特別委員会が設置され、その翌日に芦田均が委員長に選出された。なお特別委員会は7月1日から8月21日まで21回開催された。さらには特別委員会の中に憲法改正案の審議のための小委員会(芦田小委員会)が7月25日に設置され、8月20日までに13回の会議を開くことになる。

 6月28日の第1回の特別委員会では、72名の委員が集まり、委員長、理事の互選が行なわれ、芦田委員長及び10名の理事が選出された。次の7月1日の第2回特別委員会は、国務大臣及び政府の関係委員を含めて114名が参加し、金森国務大臣より全体説明があった。その後北昤吉議員、吉田安議員、高橋英吉議員より質疑があった。北議員からは、主権の概念について、金森徳次郎が五箇条の御誓文を引用したことについて、また吉田議員や高橋議員からも天皇主権と主権在民についての質疑がなされた。7月2日は黒田壽男議員、原末次郎議員、北浦圭太郎議員より質疑がなされた。またこの日には、極東委員会でも主権在民、天皇制の廃止など「日本の新憲法についての基本原則」が示されていた。

 7月4日、第5回特別委員会では衆議院本会議で吉田首相が、自衛権までも放棄したかのような発言に対して、その総理としての覚悟について質疑がなされた。この時、吉田は「私の言葉が足りなかった。侵略を目的とする交戦権だけでなく自衛権による交戦権においても戦争を誘発するものであるから、それを分けることそのものが有害である、と言ったつもりである。国際平和国体(国際連合)が樹立された暁には、侵略することは国際平和団体に属する総ての国が国際連合憲章に基づいて反逆者に立ち向かうのであって、交戦権そのものが無益となる」と述べている。

 7月6日、連合国軍統合参謀本部は、7月2日の極東委員会の「新憲法についての基本原則」の決定についてマッカーサー元帥に指令を発した。極東委員会の基本原則は、成人による普通選挙権、国民主権の明記、衆議院のみによる内閣総理大臣の選任、内閣総理大臣、国務大臣のシビリアン条項の明記であったが、その時点ではマッカーサー元帥は極東委員会の決定の発表を押さえるように部下に指示していた。そのため極東委員会のニュージーランド代表ベレンゼンなどのように、委員会決定をマッカーサー元帥が拒否し続けていることの不満を漏らす者もいた。このような極東委員会の雰囲気に対して、7月16日、アメリカ政府も「日本国憲法の採択において、付託事項以外については日本の政府、国民にあり、極東委員会はポツダム宣言及び同委員会の政策決定に合致しているか審査するだけである」という声明を発表してGHQを擁護した。

 日本では、7月23日に日本国憲法の修正案条文作成のために憲法改正小委員会を設置することが決められ、7月25日には芦田委員長を中心に北昤吉、吉田安など14名の議員と政府委員である佐藤達夫が集まって、第1回の会議を開かれた。
 

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