近代文学を代表する作家で、晩年を大磯町で過ごした島崎藤村の遺徳を偲ぶ「藤村忌」が、命日の8月22日に大磯町の地福寺で催された。没後75年目の今年も関係者や文学愛好家など、町内外から約60人が参列して墓前に手を合わせた。
藤村と静子夫人の墓碑は、藤村が愛した梅の木々が今も残る地福寺の境内に並んで建立されている。藤村忌は1989年から大磯町観光協会が主催し、毎年多くのファンが参列する。今年も藤村が一期生で卒業した明治学院大学の同窓会から約20人が訪れたほか、若い女性ファンの姿もあった。
墓前祭は櫻井智定住職の回向で藤村の冥福を祈った後、中崎久雄町長や関威國大磯町議会議長、一般参列者らが献花・献香した。櫻井住職は「藤村忌も30年になるが多くの方に参列して頂き、藤村居士も喜んでいると思う」とあいさつし、観光協会の大倉祥子会長は「晩年の地に大磯を選んでくださった藤村先生について、今後も勉強していきたい」と述べた。小田原から参列した17歳女性は「ゲームをきっかけに藤村の本を読むようになった。きちんとした式典に参列することができて良かった」と感想を話した。
式典後、明治学院大学同窓会を中心に、藤村が作詞した同大の校歌が斉唱された。同窓会の竹越浩一会長は「先輩の墓前祭を長く続けて頂き、大磯の皆様に感謝しています」と話し、この日は旧島崎藤村邸にも立ち寄って藤村の面影を偲んだ。
大磯を愛した藤村
詩集『若菜集』や小説『破戒』などで知られる藤村は、1941年に大磯の左義長を見物に訪れ、大磯の温暖な気候を気に入って町内の平屋建てに移り住んだ。2年後の8月、小説『東方の門』を執筆中に倒れ「涼しい風だね」の言葉を残し明治・大正・昭和を生きた71年の生涯を閉じた。大磯町は1975年、藤村に名誉町民の称号を贈っている。
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