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明治150年記念連載 大磯歴史語り 第46回「吉田茂【13】」文・武井久江

公開:2020年6月12日

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 現在吉田のお墓は、横浜・久保山墓地に平成23年(2011)に、青山墓地から改葬されました。菩提寺は吉上山慈眼院光明寺。このお寺は、養父である吉田健三の所有地で明治21年に現在地へ移転。同郷(現・福井県越前)で先輩である上郎幸八と共同の資金により、大檀那(勢力のある檀家)として、吉田の吉(開基家)と上郎の上(準開基家)を取り、吉上山の山号がつけられました。上郎幸八は大磯に深く関わった方ですが、皆様はご存知ですか? 公は横浜・湘南の地の有望性に着眼し、あらゆる土地を買収、開拓して道路の敷設や河川の開削を行いました。その土地を献納し軍医総監の松本順や、吉田健三両氏とはかって、内外の貴顕・紳士のために夏季静養別荘地を約4万2千坪保有しました。明治20年に大磯に鉄道がひかれてから、一気に別荘族が増えたのもそのお陰です。明治38年より、大磯に隠遁されました。当時吉田邸の切通しの隣に別荘があり、土地は健三と2人の共有地として購入、現在も七賢堂のお堂の上の木々の中に2人の名前が書かれた境界石があります。

 久保山の墓所の第一印象は、らしくないというか、簡素で地味にみえます。こんな例えをした人がいます、「死して屍を残さず」という感じです。青山墓地は、麻生家が管理していました。吉田は約44年間青山墓地に眠っていましたが、彼が亡くなった10年後に長男健一が亡くなります。彼は青山墓地に入る訳にはいきません。彼は養祖父の健三の墓地に入りました。そのお墓には、茂の養父・養母・健三の両親・幼くして亡くなった茂の次女、健一の妻・長男健介が眠っています。その後、長男健一の長女・暁子が久保山に改葬を決めたようです。でも吉田家のお墓には、茂・雪子が入る場所は無く、200メートル程離れた反対側に、ひっそりと眠っています。養父達のお墓に何故眠る事が出来なかったのか、それなのになぜ改葬したのか、長男・健一には、娘の暁子(現・74歳)が亡くなった後、継ぐべき親族はいません。これから子供が少なくなっている時代、長男とか、跡取りではなく、看てあげられる人が看る時代ではないでしょうか。次号で完結です。(敬称略)
 

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