「空白」埋めるパネル展 戦後の浦賀港引揚船に焦点
第二次世界大戦後、浦賀港に入港した引揚船内にコレラが蔓延した悲劇と、平和の尊さを伝えるパネル展が、8月11日(日)から東浦賀の「ギャラリー時舟」(東岸渡船場となり)で始まる。浦賀の歴史を調査したりイベントを開催したりと活動する市民グループ「中島三郎助と遊ぶ会」の主催。「戦後の傷を風化させないよう、残っている記録を世に出そう」との思いで、約10年ぶりに展示会を開く。当時の記録写真を並べるほか、同会が自主制作したDVDも上映する。
「コレラ船の悲劇」伝える
西浦賀にある「浦賀港引揚記念の碑」(※)の碑文などによると、浦賀港は戦後、軍人や一般邦人らの引揚指定港として、中国大陸や南方地域から約56万人を受け入れてきた。コレラが発生したのは終戦翌年の昭和21年。華南方面からの引揚船内で蔓延した。
国内への伝染を水際で防ぐため、検疫が終わるまでは上陸が許可されず、この時多くの船が海上に停泊していた。感染者は隔離施設に運び込まれたが、治療が追いつかずに船上で亡くなった人もいた。コレラによる死者は数百人から数千人に上ると言われている。
こうした「コレラ船の悲劇」に関する資料が市にも残っていないことに危機感を抱いた同会では、「歴史の空白」を埋めようと、約15年前に調査を始めた。アメリカの公文書館に当時の記録写真が残っていることを知ると、カンパを募って買い求めた。それが、今回のパネル展でも公開される。引揚船から岸壁に向かう復員兵や、検疫のために臨時召集された看護婦の姿をおさめたものなど、約50点が説明文とともに並ぶ。
さらに、GHQが映したフィルムをもとに、同会が5年前に自主制作したDVD『浦賀港引揚船の悲劇』も上映する。当時の映像や新聞記事、検疫を担当した職員へのインタビューなどを約30分にまとめたもの。現在のJR久里浜駅から故郷に帰る日本人の姿も収録されている。
浦賀港を前に当時をしのぶ
同会副会長でギャラリー時舟オーナーの柴岡立雄さんが場所を提供したことで、今回約10年ぶりに展示会を企画。終戦の日に合わせて開催する。2階のテラスからは浦賀港が一望でき、当時をしのびながら平和の尊さを考える機会にもなる。会長の大内透さんは「浦賀のことをもっと知ってもらいたい」と広く来場を呼びかけている。
会期は18日(日)まで(13日は休廊)。開館時間は午前11時〜午後5時半。入館自由。問合せは同ギャラリー【電話】046・876・8101
※引揚船が接岸した、L字型の通称「陸軍桟橋」に平成18年、横須賀市によって建立された。市制100周年のプレ事業の一環。
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