海詠山 長楽寺(札場町15-42/高橋智運住職)で、「平成の大復興」を合言葉に進められている本堂の建造が間もなく一つの区切りを迎え、今月17日に上棟する。落慶は来年10月を予定しており、完成すれば67年ぶりの復元となる。
同寺は昭和20年(1945年)7月16日の平塚大空襲でほぼ全てを焼失し、唯一戦渦を免れた地蔵堂を仮の本堂としてきた。さらに前住職から40〜50年の間、住職不在の時期が続いていたことなどもあり、これまで復興の機会に恵まれずにいたという。
「お寺を復興して欲しい」という檀家の強い要望から、権大僧正である高橋住職を本山より迎え入れたのが平成20年4月。書類の作成や檀家役員による建築委員会の設立、数回に渡る説明会を経て着任から8ヵ月ほどで準備を終え、寄付を募り再建に着手した。
高橋住職によると、廃寺ではなく檀家も多く抱えているにも関わらず、60年以上本堂がないという状況は、本来なら考えられない状態という。「この平塚で、いまだに”戦後”が残っていたということでしょうか。皆さんの熱意によって、悲願であった本堂復元がまもなく一つの形になります」と話している。
かつての中本寺復興は着々
長楽寺は高野山真言宗総本山金剛峯寺(こんごうぶじ)直属の末寺として長い歴史を持つ。古くは延暦〜天長(782〜833年)の頃、弘法大師が関東巡錫 (僧が錫杖を持って巡行し教導すること)の際に伊豆の国下田から須賀へ来航し、ここに庵住して造船・航海・医療などを伝承したとされている。
当時は相模の国の中本寺(中心となる寺)として末寺13ヵ寺を有していたと伝えられている。山号である「海詠山」は文治年間(1185〜1190年)に、 開山の僧である鎮海法印が弘法大師を追慕し建てた「海詠庵」という草庵に由来。本尊は薬師瑠璃光如来で、現在では寅年になると相模薬師霊場第十一番札所と して多くの参拝者が訪れている。
同寺の復興工事を請け負っているのは、大阪に本社を構え飛鳥時代に創業されたとされる(株)金剛組。初代の金剛重光は四天王寺の建立に携わった工匠の一人と言われ、宮大工として長い歴史を持っている。
長楽寺再建に採用されているのも、本格的な寺院建築。ワンフロア約230平方メートルの2階建てで、本堂や位牌堂の他に葬儀を執り行える部屋、忌中払いが 行える部屋などもあり、エレベーターやスロープも備えている。本尊の周りには新たに曼荼羅や日光・月光像、弘法大師像、不動明王像、原色で再現された十二 神将像が配置される予定だ。
なお、6月17日の上棟式は午後1時から行われる。
着々と建造が進む長楽寺本堂
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