平塚(まち)の足跡 〜町名探訪〜 第83回 「達上ケ丘(たんじょうがおか)」
大字平塚の字「達上」「向原」「南原境向原」の全域と、同字「宮ノ下」「諏訪部」「西十町原」の一部を指す地域。
昭和34年(1959)の町名番地整理に伴い名づけられ、丘の上に位置する地形だったことが町名の由来とされる。町名変更の際の仮案では、区域の氏神を祭る八雲神社にちなんだ「八雲町」という名も候補に挙がった。
平塚農業高校の東にある達上池は、享和3年(1803)の古図には記載があるものの、元禄5年(1692)の古地図には姿がなく、花水川の氾濫で出現したと考えられている。文化8年(1811)の地図では大小3つの池が描かれるなど、大雨や洪水によって度々姿を変えてきたことがうかがえる。
明治中期、池畔に掘られた井戸の湧水で育てた稲苗が驚くほど成長したことから、水質を分析したところラジウムを豊富に含んでいたという。温泉に適した水質を生かし、この地で「上平塚温泉」と呼ばれる温泉旅館が営まれていた時代もあった。
【協力▽平塚市市史編さん担当/参考文献▽『平塚小誌』など】
■次回は堤町の予定
|
|
|
|
|
|
|
<PR>