なんつッ亭大将 古谷一郎 【私の履歴書】 シリーズ 「我が人生の歩み」 第7回・無我夢中のラーメン修行
不動産屋さんの店舗の奥から出て来た社長の奥さんらしき女性は、僕があまりにも必死に訴えていたのを奥の部屋で聞いていたようで、「そこまで言うなら、私が大家さんに交渉してあげましょう」と言ってくれたのです。それで「半年分の家賃を前払いしてくれるなら」という条件で部屋を見つけてもらいました。家賃は3万円。半年分の18万円を払ってしまうと手元にお金がほとんど無くなってしまいました。
部屋が決まったので、今度はとりあえず働く場所を見つけるために職安に行きました。職安の職員の方にも事情を詳しく話すと、「好来は、今募集はしていないけど、他のラーメン屋さんで募集しているところがあるよ」と親切な対応をしてくれました。ただ、好来でないと意味がない、ダメなのです。すると、その職員が、ちょうど好来の道を挟んで斜め前にある酒屋さんでアルバイトの募集をしていると教えてくれました。時給は600円。早速面接に行き、そこでも必死に事情を話すと、酒屋の店主は面白いと言ってくれて、即採用となりました。これで当面の生活の目処は立ちましたが、この時点では好来に接触すらしていませんでした。
何しろ遥々神奈川からやって来て、九州を縦断してやっと見つけた修行先です。何としてでも弟子にしてもらいたい。だからこそ、断られてしまわないように慎重に計画を練りました。
先ず僕は、酒屋さんのアルバイトの休憩時間に、毎日好来に通い、ラーメンを2杯ずつ注文して完食しました。まずは、顔を覚えてもらうという作戦です。それを一週間ほど続けると好来のご主人からも「どうも」とか「毎度」と声を掛けて貰えるようになりました。
でも、ご主人は気難しそうな方で、僕は「断られてしまったらどうしよう」と思いながら、なかなか修行させて欲しいという言葉が出て来ません。そんな、自分の意気地の無さと戦いながらも僕は毎日、好来に通い、ラーメン2杯を完食することだけは継続していました。
そんなある日、いつものように好来に行きラーメンを食べていると、ご主人が何処かに出掛けて、店内には僕と奥さんしかいなくなりました。「こ、こ、これはチャーンス!」とばかりに僕は、奥さんに事情を話し「何としてでもここで修行がしたい、給料はいらないから仕事をさせて欲しい」と必死に頼み込みました。すると奥さんは「夜9時以降にもう一度お店にきて主人に話してみて」と言ってくれたのです。
夜に再びお店を訪れると、ご主人は快く修行をする事を認めてくれたのです。ただ、勢いで給料はいらないと言ってしまったものの、生活がありますから、酒屋さんのアルバイトがお休みの日に好来を手伝わせてもらうという事になったのです。
何とか、念願の修行が始まりました。とはいえ、生活もあるので酒屋さんで6日働き、休みの日に好来で働く訳です。ここで心配だったのは生活費。僕の唯一の収入源は酒屋さんでの時給600円のアルバイトのみ。修行が始まり嬉しい反面、不安がなかったと言えば嘘になります。ところが、僕は毎日休まず働いているので、ほとんどお金を使う暇がない。おまけにラーメンはいつ行っても無料で食べさせて貰える。それに人吉は物価が安く、温泉も300円で入れる程。苦労は覚悟の上と大決心で来ましたから、これには良い意味で拍子抜けしました。
更に驚いたのは人吉での僕の評判です。「遥々、東京(方面?)から修行にきたらしい」「給料ももらわずに働いているらしい」「酒屋とラーメン屋の掛け持ちで休みもなく働いているらしい」という話から、「今時珍しい、働き者の好青年だ!」という評判になったのです。
地元秦野では、救いようのないバカだった僕が、ここでは働き者の真面目な好青年ですから驚きましたし、正直凄く嬉しかったです。「豚もおだてりゃ木に登る」といいますが、僕も完全に調子に乗りました(笑)。自分で言うのも何ですが、本当に真面目に毎日働きましたし、それが全く苦になりませんでした。何しろそれまでは、「どうせ〜」と言われていたのが、ここでは「さすが!」となるのですからやり甲斐が違います。人から褒められたり、評価される経験は、小学生以来だったので嬉しくて仕方なく、とにかく無我夢中に毎日一生懸命に働き続けました。
(次号に続く)
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