なんつッ亭大将 古谷一郎 【私の履歴書】 シリーズ(最終回) 「我が人生の歩み」 第12回・「これが飾らない等身大の僕」
東日本大震災をきっかけに、政治に関心を持つようになった僕ですが、実はその頃は海外からも、冷静に日本を見るようになっていました。それというのも、海外での商売も順調になっていましたし、月の半分を海外で仕事をするようになっていましたから、日本と海外での待遇を比べることが出来るようになっていたからなのです。
当然ですが僕は、シンガポールやタイや台湾では、外国人扱いです。言葉の壁や文化や風習の違いもありますから、現地に会社を設立する時は、かなりの障壁があり、エネルギーを使います。でも、一旦会社が出来てしまうと、全てが日本より楽に思えてくるのです。
例えば、税金面。消費税や社会保障等も、他国に比べ日本が一番優れていると信じて疑ったことなどありませんでした。でも、実際はそうでもない事に気づいてしまったのです。一生懸命働いて稼ぎが多くなれば沢山の税金を払うことになります。それはどこの国でもそう変りませんが、問題はその使い道にあると思うようになりました。よく政治家は、「痛みを分ける」と口にして、何かと、もっともそうな理由を並べては増税をします。でも、各自治体はもちろん、日本の借金は膨らむばかりですよね?これは与野党の政治家に共通して言えることだと個人的には考えていますが、あまりにも一般社会と考え方が違うことが原因だと思います。一般社会ではもちろん、家庭でも、自分の会社のスタッフや子どもに我慢を強いながら借金をどんどん膨らませて、平気でいられる方は先ずいないと思います。それが、政治の世界では、自分達の腹は一切痛まないせいか、税収より予算が多い事を毎年のように繰り返し、未来ある子どもや若者逹に借金を膨らましながら、選挙の時だけ「みなさまの為に」と叫んでいるのです。よくもまあ、恥ずかしげもなく、そんなことが言えるものだと呆れてしまうのを通り越し、怒りがこみ上げるようになりました。
僕の考える政治家は、究極のサービス業。多くの方の代弁者であり、多くの方の痒い所に手が届くような方が、政治家であるべきだと思っています。でも、実際はどうでしょう?いつもどこで何をやっているかよく分からない者達が、選挙の時だけ急に湧いて出てきて、「みなさまの為に」とやっているだけです。加えて、過酷な一般社会での経験が著しく乏しい人間しか、今の政治家にはいないように思います。有名大学を出ているとか、有名な政治塾を出ているとか、名の知れた政治家のカバン持ちをやっていたとか、肩書きだけはあっても肝心の社会経験が乏しいので、そんな者に一般社会人の苦労や辛さが分かる筈がないと思うのです。加えて、この街この国の主権者である筈のみなさんが、非常に残念ではありますが、自分達の生活に直結している「政治」に興味や関心がないというのも、何一つ結果を出せない政治家がいつまでも自身や自身の所属する政党の為だけに政治の世界に居座り続ける原因だと思うのです。
そんな事を考えるようになり、勢い余って、僕も政治家を目指してみようと考えました。若い時には、単にヤンチャでは済まされない程バカの極みのような僕でしたが、その後はラーメン屋を通じて、人の役に立つ事、人を笑顔にする事を実践してきましたし、多くの企業との仕事をしてきたという自負がありましたから、少なくとも今いるような政治家よりもみなさんのお役に立てるという自信がありました。それに、こんな僕を育ててくれた地元秦野や日本に恩返しがしたいと真剣に考えてもいました。ゴミ置場の横から始めた小さなオンボロのラーメン屋を、仲間と同じ目標を掲げ、神奈川になんつッ亭あり、そして、日本になんつッ亭あり、さらには海外進出まで果たせたのですから、僕一人では無力でもみなさんと同じ目標を掲げ、協力すれば、地元秦野はもちろん、日本も必ず良くする事が出来ると信じていたのです。ただ、そんな思いも空回りしたまま、選挙は残念な結果となってしまいました。みなさんと協力するどころか、敵視されてしまったり、僕の過去の話まで大袈裟に持ち出されて、まるで袋叩きにあっているような感覚でしたからね(笑)。そんな中でも、こんな勢いだけの僕を見捨てることなく支えてくださった方が沢山いらしたことに僕はどれだけ救われたか。感謝してもしきれない思いでいっぱいです。
秦野は素晴らしい街です。首都圏からの交通の便も良く、山あり川あり湖あり、そして美味しい水、自然にも恵まれています。東京や横浜も通勤圏ですし、都会に比べて土地も安いので、子育て世代の若い親にはもってこいの街だと思います。ただ、残念な事にそれが全く他の地域の方々に伝わっていない。それが本当に悔しいですし、勿体無いと思います。
僕はこれまで、東京を拠点としている時も、住民票を秦野から移したことはないです。シンガポールに会社を設立した時も、会計士からは本社をシンガポールに移した方が税制面で優遇されるからと強く勧められた時も断りました。その理由は、地元秦野に本社を置き続ける事が、僕が地元秦野に対して出来る最低限の恩返しだと思っていたからです。
僕の親父は、79歳で他界しました。僕が仮に80歳まで生きられるとして、今、54歳ですから残りはあと26年しかありません。歳のせいか、その残りの人生で、僕は一体、何が出来るのだろうか?と良く考えるようになりました。たった一度の人生ですから、残りの人生は少なくとも今よりもっと、僕のこれまでの経験を生かして、人様のお役に立ちたい、更にそう考えるようになりました。どうでも良いものも含めて経験値だけは自信がありますから、それをみなさまのお役に立てるように使いたい!と真剣に考えています。
最後に、昔お世話になった方から言われた言葉で一番印象に残っているものを紹介させてください。「天に向かいまっすぐ伸びた松も良いものだが、風雨に耐えて曲がりくねりながらも大地にしっかり根を張って堂々としている松もまた趣があるものだ。お前は後者だ、前だけを見て自分らしく行け!」この言葉を胸にたった一度の人生を後悔のないよう歩き続けて行きたい、そう強く強く思う毎日なのです。
如何でしたか?これが何一つ飾らない等身大の僕です。僕の記憶を辿っていますから、中には「違うだろ」と文句を言ってくる方もいるかも知れません。でも、自分に正直に全てを書いたつもりです。
全12回に渡る僕の駄文に最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。
最後に今一度、みなさま、今まで本当にありがとうございます!そして、これからも末永くよろしくお願いします!
なんつッ亭 大将 古谷一郎
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