今にも降り出しそうな空の下、カラクリ仕掛けのかまきりを乗せた山はゆっくりと動き出した。盛夏の7月17日、京都三大祭りの一つ「祇園祭」の前祭(さきまつり)山鉾巡行に、小田原の老舗製薬・製菓会社「ういろう」の外郎武社長と社員2人の姿があった。京都と小田原、そして静岡を結ぶ縁を取材した。
前祭・後祭あわせて33基の山鉾のなかで唯一、動くカラクリを乗せた「蟷螂(とうろう)山」。南北朝時代、足利義詮(よしあきら)軍に挑んで戦死した公卿・四条隆資の勇猛果敢な戦いぶりを、中国の故事「蟷螂の斧」になぞらえ、当時京都に住んでいた外郎家の先祖・陳外郎大年宗奇(ちんういろうたいねんそうき)が1376(永和2)年、隆資を偲び、四条家の御所車にかまきりを乗せて巡行したのが始まりとされる。
その後、動乱の京都を離れ外郎家は小田原へ。蟷螂山は幾度も戦火に遭いながらその都度再興してきたが、1864(元治元)年の大火で大部分を焼失する。居祭(=巡行に加わらず、山鉾の懸装品などを飾ることで祭りに参加すること)を経て117年ぶりの巡行復活を遂げたのは、1981(昭和56)年のことだ。
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外郎家と蟷螂山の縁が再び結ばれたのは、2005(平成17)年。武さんは、同社を取材していた作家の山名美和子さんから、先祖と祇園祭の関わりを聞き、蟷螂山保存會を訪う。「この地にあった外郎家の足跡を探りたい」。山鉾の維持に多大な努力が必要なことを知った武さんは巡行への協力と参加を誓い、2011年に初めて、14年には社員10人とともに列に加わった。
そして今年7月17日、この日に合わせ、外郎家の家紋を入れて新調した裃に身を包んだ武さんと、露払いの「ちりん棒」を手に山鉾を先導する役目の好光亨さん、阿部将大さんの姿があった。 =続く