建設業を営む三木組(三木康郎代表/従業員数85人)=青木町=が今年4月、創業120周年を迎えた。
”横浜”との縁
創業者である三木多治ヱ門が1897年、郷里の福井県敦賀市で「三木組」を誕生させた。1923年9月1日の関東大震災直後、三男・末吉(当時36)が横浜へ降り立つ。「私の記憶をたどると、たしか横浜という地が敦賀にもあって、そこに住んでいたとか。故郷と同じ”横浜”という土地にひかれて来たのでは」と三木社長は話す。横浜市内では31校の震災復興小・中学校が建てられ、そのうち三木組は震災復興小学校7校などの新築工事を請け負った。これを機に、長年市内の公共工事を数多く手がけるように。神奈川区役所の新築(64年)・増築工事(90年)や三ツ沢公園球技場の改築工事(93年)なども三木組の手によるものだ。
みなとみらいの国際会議場も
57年以降は、公共工事中心から民間企業建設工事に範囲を広げ、世界最大級の複合MICE施設であるパシフィコ横浜の建設にも参加。昨年は、4年後の完成に向けて準備が進んでいる新市庁舎建設予定地での埋蔵文化財調査のための工事も請け負った。
「仕事の多くが県内そして市内。ずっと横浜で仕事をさせていただいて120年を迎えられたことに、地元の皆さまに感謝です」と三木社長。神奈川区でも有数の歴史ある企業として、次の10年へ歩み続ける。
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