池上にある妙蔵寺の掲示板に「情報提供のお願い」と書かれた紙が張り出されている。内容は、1944年から約1年半、横須賀海軍工廠で徴用工として働いていた当時38〜39歳の菊池二郎氏(別称:菊池暁輝 木口二郎)が市内に開設したとされる「宮沢賢治子供会」”第二オホゾラ学校”について。当時がわかる資料も残っておらず手がかりを求めている。
39年に海軍工廠内にあった工員の養成施設が池上に移転。現在の池上3丁目から平作8丁目一帯に、校舎や数千人が生活する宿舎が広がっていた。全国各地から多くの徴用工員が集められたが、その中にいたのが菊池氏だ。
岩手県盛岡市で生まれた菊池氏は、宮沢賢治の作品や感性を後世に広めようと、宮沢賢治が逝去した翌34年、本人とも親交のあった作家の森荘已池氏とともに「宮沢賢治の会」を創設。会の活動の中で菊池氏は、小学生らを集め宮沢賢治の作品や感性に触れることを目的とした「宮沢賢治子供会」を岩手県で結成し毎週のように活動していた。
徴用工員宿舎付近で活動
小学生当時、岩手県の子供会に参加し、現在は菊池氏の功績や活動を調べているという寺山正義さん(厚木市在住)。偶然妙蔵寺の檀家と知り合い、昨年同寺を訪問した。寺山さんによると菊池氏は、1944年1月から45年9月まで横須賀で徴用工として働き、その間に「宮沢賢治子供会」”第二オホゾラ学校”を開設した記録があるという。具体的な場所は示されていないが寺山さんは「徴用工宿舎に近い妙蔵寺で、子供会が開かれていた可能性は十分にある。菊池氏は私自身の人生に影響を与えてくれた人。一人でも当時を知る人がいれば」と呼びかける。同子供会では宮沢賢治作詞の歌「精神歌」の合唱や「雨ニモマケズ」の朗読などをしていた。同寺の杉崎昌文副住職によると、当時の寺の状況を知る者がおらず、記録にも残っていないため、子供会があったかどうかは不明だという。
情報提供は妙蔵寺まで【電話】046・851・0613
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