"海の隼"をあるく 〜按針が見たニッポン〜48 江戸編(6)作・藤野浩章
「幕府の水先案内人としての役割はもう終わったのだよ。お互いに」──
英蘭に発給された秀忠からの朱印状には、実は「日本での貿易港は平戸に限る」と記されていた。日本中どこの港でも交易ができる、とした家康の時代から見ると、まさに寝耳に水の事態だ。今までの按針の努力が水の泡となりかねないが、日本の字が読めない按針は三浦浄心(じょうしん)に指摘されるまでその内容が分からなかったのだ。いずれ判明した事ではあるが、日本に来ておよそ15年、幕臣として輝かしい功績を挙げてきた按針のいわば唯一の欠点が"識字"であることを思い知らされる。
彼は慌てて江戸に戻り、秀忠側近の酒井忠世(ただよ)に面会するが、そこでキリシタンの禁制が厳しくなったこと、中国船はどこの港でも交易可能であることを聞かされる。家康が去った幕府は、以前とはまったく違う世界になっていたのだ。それを端的に表しているのが、冒頭の言葉。これはヤン・ヨーステンのセリフだ。彼はこの時オランダ商館の顧問になっていて、同じく煮え湯を飲まされていたのだ。
とにもかくにも、新しい世でどう立ち回っていくのか・・・華々しいスタートを切るはずだった"第3の人生"は、一転して按針の身の上に否応なく試練をもたらしたのだ。
平戸だけでなくせめて京、大坂、堺で商売しないと商館は立ち行かなくなる。しかも平戸1カ所で英蘭がしのぎを削ることになり、互いに消耗するのは明白だ。
三浦按針51歳。まさに万事休す、という窮地に立たされたのだった。
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