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三浦の散歩道 〈第83回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

掲載号:2015年5月15日号

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道路脇に祀られている道祖神の石塔
道路脇に祀られている道祖神の石塔

 「なもた坂」の下には「聖徳太子」塔と共に「馬頭観音」と刻まれた石塔も祀られています。明治十六年(1883)の年号と世話人「木村」以下十四名の名前が記されています。坂を上がると南北に通じる三叉路になっています。右方(北)はゆるい坂となっていて、「長畑」へと続いています。筆子は左方へ向かいます。すぐにバスの通る「県道油壺線」へ出ます。出る口の左側に寺院があります。浄土宗の「荒井山潮音寺真光院」です。道路に面した所に案内板があります。それには次のように記されています。「本寺院は治承四年(一一八〇)人阿上人の開山と伝えられ、生徳元年(一七一一)に良呑上人により中興開山されました。この寺院は、三浦道寸義同とその子荒次郎義意が、深く帰依していたと伝えられています。本堂には、江戸時代末の作と推定される衣冠束帯姿の義同父子の像が祀られています。また、階段を上がった左手、観音堂の大きなお厨子の中に観音菩薩像が祀られています。この観音像には、次のような言伝えがのこされています。『幕末に浦賀奉行の与力をつとめた中島三郎助は、将軍より拝領した観音像を戊辰戦争の際、下臣の佐々倉松太郎にその保護を託した。佐々倉は浜離宮にあったこの観音像を、大きなお厨子ごと小網代村の名主の家へと運び、世を忍ぶ身となった。そして、匿ってくれたお礼にと、この観音像を置いて行った。』と伝えられています。名主の屋号を『なもた』と称し、寺院の裏側を通る坂道を『なもた坂』と呼んでいます。県道ができるまでは、三崎から小網代に至る主要道路で…」(後略)本尊仏が「阿弥陀如来立像」の、この寺が「源平合戦」の始まった年に開山されたと言うのですから驚きです。古い道は、おそらく寺の前を通って南西へと向かったのであろうと思い、県道を渡った向いの道へと進みます。道幅は二歩半ほどの狭(せま)さです。進む方向の左側は谷戸になっていて、右側を見ると県道に平行しているようです。しばらく歩いていきますと、県道へ出る道と下へ下がる道とで、変形の四つかどに出ました。その下への道に平行して、少し高くなった地に、石塔と石造の小さな祠が見えました。石塔は笠付きで、正面に梵字が彫られていて、「道祖神」の文字が読みとれます。右の側面に「寛政」と、かすかに読めて、年月は不詳です。「寛政」と言うのは江戸期の年号で、1789〜1800年の間に当たります。もう一つの石祠についてはわかりませんが、「地主神」で、近くに住む人が祀っているのでしょう。やはり、この道は古く、小網代の古道の一つなのでしょう。

(つづく)
 

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