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三浦版 公開:2016年4月8日 エリアトップへ

三浦の散歩道 〈第104回〉 みうら観光ボランティアガイド協会

公開:2016年4月8日

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実相寺本堂前に祀られているお地蔵さま
実相寺本堂前に祀られているお地蔵さま

 「七面天女」について、「日蓮上人御伝記」の中に「七面山は身延のたけの西、はるき川の上にあり、吉祥天のあとをたれ、大明神とあらはれ給ひし所也、此の山鬼門をふさぎて七面をひらく、ゆゑに名付けたり、金輪際(かなわきわ)よりわき出でて黄金の地なりと言ひ伝ふ、頂(いただき)に池あり、八功徳水をすまし、五色の雲つねにたなびけり、そのけはしきこと鳥もかけりがたく、鹿も渡りがたし。」とあって、「七面」とは、四方八方のうち、「鬼門」を除(のぞ)いた「七方」すなわち「七面」なのです。この山で日蓮は法華経を読誦している折に容色のはなはだ雅(みやび)な女性に出会うのです。不思議に思って、貴女の本形は何かと問うと「一滴の水を得たい」と答える。日蓮は侍者に命じて、花瓶をとって与へると、その瓶水でたちまち長さ一丈余の毒蛇となり花瓶をとり巻き、首をあげ舌を吐くなど恐ろしい姿になったのです。日蓮がお経を唱えると、たちまち天女に変えたのでした。これぞ吉祥天の垂迹(すいじゃく)、大明神示現のさまであったという。(『類聚名物考、七面大明神縁紀』より)

 このように「蛇と天女」の伝説が元になったのでしたのでしょうか。

 『ふるさと初声を知る(記録)初声今昔 あんな話こんな話』その1の中に、「初声史跡歌」(菊地酉松作詞)があり、その中に「十とや 遠くに響くその鐘は その鐘は 日蓮宗の実相寺 実相寺」とあります。歌の解説に「かつては初声八景『実相寺の晩鐘』として親しまれた梵鐘があったが、第2次世界大戦のため供出された。」と書かれています。その鐘は享保八年(1723)、当時の地頭水野右近を願主に、梶川氏他41名の寄進と言われています。

 現在でも立派な鐘撞(つ)き堂が境内にありますが、鐘は昭和三十四年(1959)に、西武鉄道から寄進されたものであるとのことです。

 さらに注目すべきは、この寺に明治当初、下宮田村の会所(かいしょ)である村役場と下宮田学校が置かれたことです。当時の先生は能登日応氏で実相寺の三十二世の住職さんであったと言うのです。浜田勘太氏の著『初声の歴史探訪記』によれば、明治三十四年(1901)頃まで、この寺に学校があったと、古老の話を載せていて、「下宮田の明治文化の曙が、実相寺であったことは輝かしいことである。」と述べておられます。

 他に、『若宮神社年表』によりますと、寛文十二年(1672)の社殿再建に実相寺が「別当」(神社を治める役)として務めをなしています。さらに寛政八年(1796)に、「別当職」を妙音寺と争っていますが、翌年、当時の地頭水野右近氏の吟味によって、実相寺が「別当」を継続されたが、明治の代になって神務を止めたのです。

        (つづく)
 

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