東京大学三崎臨海実験所異聞〜団夫妻が残したもの〜 文・日下部順治その14 在りし日の思い出の記
前号つづき【団夫妻の長女・みかさんからの、箱根仙石原時代の「思い出の記」後編】
「小田原出身のおばちゃんがいて、母を助けてくれていましたが、『うちでは奥さんが一番買い出しがうまかった』と言っていました。
片言の日本語で、どうやって食料を調達したのでしょうかね。ある時、母がリュックいっぱいのニンジンをゲットして帰ったことがありました。
その日のお昼ご飯は茹でニンジンで、私たちきょうだいは『今日は赤いご飯だ、赤いご飯だ』と大はしゃぎして食べたことを覚えています。
裏山へ杉の落ち葉拾い(薪拾い)も楽しかったし、強羅に叔母の一家が住んでおり、おばちゃんの作ったおはぎをお重に入れたものを私が抱え、兄の自転車の荷台に乗って、行はよいよい帰りは恐いで、オールくだりと、帰りは二人掛かりで自転車を押して仙石原まで帰ったものです。8歳と6歳の子どもが大人の自転車で、です。
帰り道はスカンポを齧ったり清水を飲んだりして日が暮れそうになり、泣きべそで帰りを急ぐのでしたけれど、いよいよ暗くなりそうになる頃、遠くから『ヤッホー、ヤッホー』と迎えに来た母の声が聞こえてきたものです。日本のお母さんならとてもできませんね。
こんな武勇伝はもっともっとありますよ。」
* * *
みかさんからのお手紙に続いて今回、新たに読者の方から団勝磨に関する貴重な一文をいただきました。地元・三浦在住で、生前の勝磨の教え子だった方です。東京大学三崎臨海実験所で研究もなさっています。かかわる方が地元に所在されていることは驚きでもあり、誠に奇遇です。多才の方ですので、今後お話を聞くのが楽しみです。
こちらも前後編に分けて団夫妻にまつわる思い出の記をご紹介したいと思います。
* * *
「最近号で報じられていた臨海実験所解体のニュースが残念でならず、また長らく連載されている團夫妻の物語も興味深く読ませて頂いております。
実は團勝磨先生は東京都立大学在学中の恩師でして、夏の間は夏季学習のため臨海実験所に寝泊まりしてウニの研究のお手伝いをさせていただいたため、同実験所は大変懐かしい思い出の詰まっている場所なのです。
ジーン先生は学生たちから親しげに仁子先生(日本語で團仁子)と呼ばれていたからです(仁は細胞内の小器官の名)。」
(つづく)
|
|
|
|
|
|