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連載 第29回「城ヶ島のこと その5」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2018年11月30日号

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県立城ヶ島公園駐車場に残る円型の砲座
県立城ヶ島公園駐車場に残る円型の砲座

 近代に入った、明治三十二(1899)年、東京湾防備の重要性から、三浦半島は全域が要塞地帯に指定されました。いわゆる「要塞地帯法」が公付され、「許可ナク要塞地内ノ測量航空、撮影模写、模造、録取ヲ禁ス陸軍省」という立看板が城ヶ島の要所に立てられました。その後、現在の県立城ヶ島公園の地域に「砲台」や「地下壕」が造られたのでした。幸いなことに、「大砲」は活躍することなく、終戦を迎えたのです。

 中世の昔、この城ヶ島を舞台に合戦があったのです。その話について、『城ヶ嶋村沿革畧誌』(加藤泰次郎氏編纂)の記載によりますと、室町時代の天文二十一(1552)年の三月上旬、安房(あわの)国(くに)(現千葉県南部)の里見義弘が兵船八十艘(そう)で城ヶ島を攻め取ろうとしたのです。里見氏とは清和源氏の流れをもつ家系で、室町中期に安房を平定し、館山を本拠に活躍した一族です。江戸時代に書かれた『南総里見八犬伝』(滝沢馬琴著)は、この一族を取材した伝奇小説です。

 八十艘の舟で城ヶ島を攻めたのに対して、当時三崎城を支配していた北条氏の将であった梶原備前守や富永三郎左ェ門以下が防戦し、里見氏は房州へ退いたと言うことです。しかし、再び、弘治(こうじ)二(1556)年に里見義弘は兵を城ヶ島に出して陣を設け、北条氏康の守兵と戦った。北条方では梶原備前守に舟師(しゅうし)(水軍又は船軍の意)を備えて守ったのでした。しかし、この時里見軍は近隣の民家を焼いたり、財を掠(かす)め取ったりしたと言うのです。

 なお、北条方は正規の水軍を備えていなかったので、紀州の水軍であった梶原氏を雇用していたのではないかとの説もあります。

 さらに、『城ヶ嶋村沿革畧誌』を読んでみますと、その当時の戦場について証することはできないが、島の東部平原に土塁が二つあって、里人はそれを「一番堀、二番堀」と呼んでいたと言うのです。現在の県立公園入口に至る右側の辺りに「一番森」という地名が残っています。さらに続いて「二番森」なのでしょうか。「堀」が「森」に変じていますが、この辺りが、かつての古戦場だったのかもしれません。

 現在の公園前の駐車場内に円型の花壇用の地が見られます。円型の周囲は、きわめて堅固に石積みが見られます。ここは昭和二年に設置された大砲の砲座のあった場所なのです。中世の戦場であった処に大砲が設けられたのも因縁を感じます。

(つづく)
 

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