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連載 第31回「白秋碑のこと」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2019年1月11日号

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遊ヶ崎の砂浜に立つ白秋碑
遊ヶ崎の砂浜に立つ白秋碑

 城ヶ島が多くの人に知られるようになったのは「城ヶ島の雨」という歌が大正八(1919)年に歌手の奥田良三氏が吹き込んだレコードが大いに売れ、有名になったと言われています。

 この「城ヶ島の雨」は大正二年の六月に、島村抱月(松井須磨子を中心に芸術座を興(おこ)し、近代劇の普及に貢献した。角川版『日本史辞典』より)。その島村抱月から、新しい音楽を元に「芸術座」で音楽会を開催したいと考え、北原白秋が三崎に居住していると言うことで、白秋に依頼があり、船唄としてつくったと言われています。

 音楽会の発表は大正二(1913)年の10月30日、東京数寄屋橋の有楽座で行われ、作曲者梁田(やなだ)貞(ただし)の独唱で発表された、と言われています。ところが、白秋は詩(うた)がなかなかできず、10月28日に東京通いに船に乗船した使いの人が作曲者に届けたと言われています。

 作曲者の梁田氏は明治十八(1885)年、札幌市の生まれで、当時は東京府立一中(現日比谷高校)の音楽教師をしていました。

 梁田氏は一夜で曲を作り、29日にリハーサル、そして30日に自らの独唱で発表したのでした。白秋の詩に初めて曲がつけられた記念すべき作品であったのですが、発表当時はあまり良い評価は得られなかったようです。

 六月に曲づくりを頼まれた当時、白秋は向ヶ崎に住んでいました。現在の城ヶ島大橋の下あたり、今は公園になっている処に住み、毎日、城ヶ島を眺めて過ごしていたのでしょうか。ちょうど梅雨の季で、こまかに降る雨を通して緑深い島を見つめ、利休の茶に思いを馳(は)せたのでしょう。その後昭和十五年に「茶をわびと和敬きよらに常ありてそのおのづから坐りたまひき」の短歌を利休の墓所である京都の聚光院に頼まれて詠んでいると、野上飛雲氏の『みうら半島 文学散歩』に記されています。それが、「雨はふるふる 城ヶ島の磯に 利休ねずみの 雨がふる」の一節になったのでしょう。

 なお、この「城ヶ島の雨」には梁田貞氏の他に大正十三(1924)年に山田耕筰氏、昭和三(1928)年に橋本国彦氏、昭和十五(1940)年に、地元出身の小村三千三氏と、それぞれに新曲をつけています。中でも小村氏の曲は三味線入りの曲で、聞き応(ごた)えのあるものです。

 現在、「白秋記念館」の前の浜に建てられている「詩碑」は昭和二十四(1949)年に建てられたもので、大橋ができる以前は橋の東側にありました。

 碑文は昭和十六(1941)年に、白秋が揮毫(きごう)(依頼されて毛筆で書いた)したものです。

(つづく)

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