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東京大学三崎臨海実験所異聞〜団夫妻が残したもの〜 文・日下部順治その18 実験所を支えた地元の2人【3】

掲載号:2019年1月11日号

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 実験所が採集人を探しているという話が重さんの耳に入り、当時実験所を切り盛りしていた大島正満に会うと「明日からでも来てくれ」ということでした。なぜなら仕事が地味な上、日給1円という安さで応募する人がいなかったからです。また、おかみさんのヤスさんも賄い係に雇われることになり、昭和2(1927)年8月から夫婦の実験所での暮らしが始まりました。当時、重さんは32歳。その後実験所との縁が半世紀も続き、前任の熊さんに並ぶ名採集人と呼ばれることになるのですが、ここから重さんの苦労が始まります。

 熊さんは、嘱託の身分のまま仕事の中身に変わりはなく、連日実験所に通っていました。職人気質でしたから、すぐに手取り足取りで自分の秘伝を重さんに教えることはありませんでした。重さんにとっては「コワイ」人でしたが、負けん気の強い重さんは、教えてくれる人がいないまま図鑑片手に必死で、和名・学名を覚えていきました。彼の独学の跡が採集日誌にも残っています。器用で、簡潔に生物の特徴をとらえており、日ならずして、学名での注文にも応えられるようになったそうです。しかしそれ以上に苦労したのは、どこで生物が採れるかでした。熊さんは貴重な材料だと居場所を教えてくれず、一人で舟を出してしまう有り様だったので、重さんは、その舟が岸を離れるや否や、裏手の弁天山に駆け登り、木立の間から行方を追い、後日その辺りを探すという具合。暇があれば注文がなくても浜をうろつき、あるいは櫓舟を操って水鏡で海を覗き、早朝から海に出てプランクトンネットを引くことが日課でした。慣れない手つきで顕微鏡を操り記録もつけ、努力と学習の人でした。

 晩年、重さんは言っています。「何千種類もの材料が、いつ、どこに行けば採れるということを頭の中に叩き込んでいなければ、一人前の採集人の役は務まりません」と。数々の素質にも恵まれていた重さんは、数年もすると自他ともに2代目と許すようになり、やがて「磯の生き字引」と評されるところまで行きつきます。

 半世紀にわたって重さんと付き合い、最も彼を良く知る団勝磨は述べています。「世界広しと言えど、こんな器用な真似のできる臨海実験所は他にはない」

 勝磨はしばしば重さんと一緒に櫓舟を漕いで小網代湾で生物の採集を行い、実験所で観察を続けています。

(つづく)

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