連載 第32回「狐塚のこと」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介
『三浦の伝説と民話』(三浦市観光協会発行)の中に、「きつね浜ときつね塚」の話が載っています。それによりますと「浜諸磯の丘の麓の狭い砂浜を、通称きつね浜という。」の書き出しで、「新井城の三浦荒次郎義意が射た矢で、狐が落ちたことから狐浜と名付けられた。九尾の狐で、郷土に埋められた。その塚は、夜中に畠の中をあちらこちらと駆けまわり、附近の人が見ると毎朝場所が変わっていたという。」話なのですが、その塚はどこなのでしょうか。
三浦市の塚を研究されている「三浦市考古ボランティアサークル石笛(いわぶえ)」の『三浦市の塚』によりますと、「塚」という名称は広範に使われているとのことで、いくつかの例を挙げておられます。それによりますと、【1】「土が盛り上がった形状をしている場所」 【2】「事物、事件、人物の記念碑、塔など」 【3】「信仰表現、供養目的の碑、塔など」と他に、墳墓や意図をもった碑や塔などをあげています。
では、諸磯の郷土に埋められた塚は何処にあるのであろうかと尋ね歩いたところ、諸磯と小網代の境、ぐみが作と言われる地の近くに、何方(どなた)が建てたか、わかりませんが小さな石塔に「狐塚」の文字が刻まれています。まさに、3番目の供養目的の碑なのでしょう。
「狐」については、稲荷神社の神前に座す神使とされています。なぜ、「キツネ」と称(しょう)するのか、面白い話が、日本最古の仏教説話集で、平安時代の弘仁十三(822)年頃に成立した『日本霊異記』の中にあります。
「三乃国大乃(みののくにおおの)郡(こほり)(現在の岐阜県大野郡)に住む人が、妻にするため美しい女性を求めて、馬に乗って出かけました。偶然にも、広い野原で一人の美しい女性に出会いました。少しの会話の後(のち)、「わたしのお嫁になりませんか」と誘ったところ、女性は承諾して結婚することになり、一緒に住むことになりました。しばらくして女は懐妊し、一人の男の子を産みました。ところが、その家の飼犬も、子犬を産んだのです。その子犬は、いつもこの主婦に向うと、歯をむき出して吠えるのでした。ある日、親犬の方が、主婦にかみつこうと、追いかけ、吠えついたのです。主婦はおびえ、こわがって、たちまち狐の姿に身を変えて、籠(かご)の上に逃げて座っていたところを夫に見られます。だが夫は「わたしは絶対におまえを忘れたりはしないぞ。いつでもやって来いよ、いっしょに寝よう」と声をかけたのです。この狐は、夫の言葉通り、来ては泊まっていくのでした。それで、この女を「来(き)つ寝(ね)」と名付けるようになったのだそうです。また、二人の間にできた男子の名を岐都禰(きつね)とも付けたというのです。
(つづく)
|
|
|
|
|
|