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連載 第50回「見桃寺のこと【3】」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介

掲載号:2019年11月1日号

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見桃寺境内の白秋歌碑
見桃寺境内の白秋歌碑

 「見桃寺」の庭に、北原白秋の歌碑があります。これは、昭和十六年十一月二日に、白秋、ご自身が除幕式に出席されています。この歌碑は白秋にとっての第一号になります。

 北原白秋の一家が三崎の向ヶ崎に移り住んだのは大正二(1913)年の四月末でした。父親と弟が魚商をして、生活していましたが、それも失敗して、一家は東京へと移住し、九月から妻と二人で、二町谷の「見桃寺」に移り住むようになりました。しかし、翌年の三月には、小笠原島へ移住してしまいます。

 この「見桃寺」へ移ってから、白秋の詩境が変わっていきます。それは熱狂的な光明礼讃から、閑寂の世界へと変化したのです。その心を次のように詠(よ)んでいます。

 「しんしんと寂しき心起りたり山にゆかめとわれ山に来ぬ」

 「海ゆかばこの寂しさも忘られむ海に行かめとうちいでて来(き)ぬ」などの和歌があります。

 「この『寂』は生々流転の相、その深淵(しんえん)をかいま見、体験した末に、にじみ出て来たことばで…」と、白秋の甥、山本太郎は『白秋めぐり』の中で書いています。

 それが、『見桃寺』の庭にある「寂しさに秋成(あきなり)が書(ふみ)読みさして庭に出でたり白菊の花」の和歌になったのでしょう。

 深みゆく秋の日、独(ひと)り上田秋成の『雨月物語』を読んでいるとき、「菊花の約(ちぎり)の文に及んで、重陽の節句(陰暦九月九日の菊の節句)に再会の日と約した盟友の赤穴宗右衛門が尼子氏の城内に幽閉されてしまう。一方、待つ身の丈部左門は約束に従って待つが、夕暮れになっても現れない。夜半過ぎ、風に乗って黒影が庭先にやって来た。それは、この世の者ではなかった。魂が仮に姿を借りて、「菊花の約」に赴いたのであった。

 白秋は、この物語を読んでいるうちに、主人公の心情に心を動かされ、歌碑にある和歌を詠んだのでしょう。

 ここ「見桃寺」に歌碑を建てる前、種々問題があったようです。初めは「城ヶ島」に、「城ヶ島の雨」の詩碑を建てようと計画されたのですが、「城ヶ島」は軍の要塞地域であったので、建てることはできず、寺の境内ならば認可するということで、歌碑が建てられたのです。「城ヶ島の雨」の詩碑建立をはじめ計画したのは、「歌の町」の作曲者「小村三千三」氏です。

 「小村三千三」氏は、「城ヶ島の雨」の作曲者のひとりです。それも、三味線(しゃみせん)入りの情緒ある曲です。

(つづく)

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