連載 第66回「三浦古尋録その【5】」 三浦の咄(はなし)いろいろ みうら観光ボランティアガイド 田中健介
「三浦五井」のうち、二つの井は三浦市内にあり、それぞれ地名として残されています。
一つは南下浦町の「今井」です。この地に「三樹院」という浄土宗の寺院があります。寺の境内に「今井の井戸」と表題された井戸があります。「この井戸は往時の三浦五井の一つで、一説に今井の地名はこれより起こったといわれています。」とあって、「当山の地蔵尊のご詠歌のとおり、『てむけする いまいしみずの おとたてて…』と、井戸の清水は今もこんこんと湧いています。」と書かれています。
また、「三樹院」の『当山由来縁起』に、「抑々(そもそも)当山の由来を尋ぬるに、往古今井の四郎兼平(かねひら)、出陣の砌(みぎ)り(とき/おり)、この地に仮屋を設け給ふ。其(そ)の旧跡は、今井、当長谷川清左衛門屋敷跡にあり、此の故を以(もっ)て今に当所の字(あざ)を今井と称す。其(そ)の後鈴木某(なにがし)なる者、大道心の発願し、彼(か)の兼平(かねひら)の仮屋を持ち来たり一宇(いちう)(一軒の建物)を建設し、海東山三樹院と号し、五劫寺末と改む。」とあります。
なお、今井兼平とは、平安後期の武将で、木曽義仲に仕え、平家追討に加わり活躍した人物で、巴(ともえ)御前の兄でもあります。信濃国筑摩郡の今井を領した人物でもあります。
もう一つの「井戸」は初声町高円坊にある「大井戸」と言われている「わくり井戸」です。
高円坊地区は山間にありますが「湧水」の豊富な場所で、三浦市の水源地にもなった処(ところ)です。「塔の台」と呼ばれる処にある「日枝神社」の辺りは緑樹蒼然とした森で、地名をとって「大井戸森」と称しています。
延享三年(1746)に記された『高円坊村五劫(ごこう)寺縁起』の中に、この寺について、「和田ノ左衛門平(たいらの)義盛、尊崇帰依(そんすうきえ)ノ道場ナリ、故(ゆえ)ニ、志(こころざし)アル輩(ともがら)ハ、寺前ノ流ニ垢離(こり)(神仏に祈願するとき、冷水で体と心を清めること)ヲ取テ、コノ尊像ニ参詣ス。」と記されています。残念ながら五劫寺は廃寺になっています。さらに、「西ニ当(あたり)テ霊泉アリ、大井戸ト云フ、(中略)日夜十二時ニ湧出(わきいづ)ルコト見ル人目(ひとめ)ヲオドロカス、信ニヨリテ霊泉ノ利益ヲ現ズル事コレ多シ、故ニ、所ノ里名ヲ大井戸ト云ヒ、寺ノ山号ヲ大井山ト号スル事コノイワレナリ」と記さて手います。
霊泉「大井戸」(径六尺と言われている)は南西に広がる水田地帯を潤す水源となっていましたが、現在では水田は見られずキャベツや大根の耕地となっており、かつて、身を清める意の「精進川」も「庄司川」と字体が変わっています。
(つづく)
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