明日26日に市民ホールで行われる震災チャリティーイベントの企画立案をした 千葉 智さん 横須賀市在住 68歳
港町繋ぐ支援の架け橋
○…東北地方を中心に未曾有の被害をもたらした東日本大震災から約4年半。被災地の復興と反比例するように記憶の風化や災害への危機意識の希薄化が叫ばれて久しい昨今、「改めて考え、心構えの大切さを学ぶ場を」とチャリティーイベントを企画立案した。「災害は忘れた頃にやってくる。決して他人事ではない」。今までもこれからも、海と共に生きる三浦の人々に生きた教訓として伝える。
○…「どことなく三浦と似ている」と話す、故郷の宮城県南三陸町は多くの人が半農半漁の生活を営む長閑な街。高校卒業と同時に上京し、若い頃は気恥ずかしさもあって「”気仙沼の南の方”と説明していた」と笑うが、懐かしい原風景は今も心に焼き付いている。いずれは帰郷する心積もりだったが、就職・結婚と生活が変わり、気が付けば半世紀が経過。大震災が起こったのは、そんな時だった。
○…三浦商工会議所勤務を経て、資源物処理施設に勤務。仕事で出会った三浦の仲間たちに背中を押され3・11から1カ月経たずして故郷へ。瓦礫の山と剥き出しになった鉄骨…生まれ育った街は、まるで箒(ほうき)で掃いたように全てがなくなっていた。「なんてむごい」。悲惨な光景に言葉も出なかった。新鮮野菜、食料品・日用品など三浦市内から集まった善意を満載にしたトラックで避難所を回る道中、喜ばれたのは意外にもマグロの刺身だった。船が流され漁に出られなくなった人々。束の間だが馴染みある魚料理を口にすることで、顔に笑みが戻った。
○…親戚や級友との再会を喜ぶ一方、流す涙に心に負った傷の深さを痛感。九死に一生の生還を果たした後、捜索活動等を指揮した当時の副町長も高校の同級生だった。皆、頑張っている。「自分にできる支援を」と決意を新たにした。今年も市内の生産者と被災地を訪れ、キャベツや農地用肥料を届けた。遠く離れた南三陸と三浦。2つの港町の橋渡し役として奔走する。
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