三浦の散歩道〈第135回〉 みうら観光ボランティアガイド協会
初声町における「庚申塔」の造塔数は136基もあるということで、そのうち「高円坊」地区では、40%を占める55基もあるということです。(鈴木喜代司氏著『初声町の庚申塔』による。)
その中の一箇所、高円坊(一ノ坪)に出かけてみました。県道の武・上宮田線を走るバスを「庚申堂」で下車をして、信号の手前を右折し「仙上」方面へと向かいました。はじめはやゝのぼり坂でしたが、方向の左手の高台に「福井記念病院」が見えて来る辺りから平常の道になりました。右側は少し高くなっていて住宅も見られます。やがて、右手が開けて、田圃が見え、最近植えたと思われる苗が風に吹かれている様子などを眺めながら歩を進めて行きますと、道は左へとカーブしていきます。
右手のビニールハウスの所を右折して、しばらく歩きますと、右へ曲がる道の辺りに「カーブミラー」があり、直ぐの道辺には「屋敷墓所」があって、その先きは「(株)クリエ三浦乗馬クラブ」へとつづきます。
カーブミラーの個処を右へと曲がり、坂を登って行きますと、やがて、広々とした大地に畑が四方に眺められる処にやって来ました。
広大な農地に白雲を伴った青空が見られ、歩行してきた疲れも忘れるほどの壮大な風景です。
畠中の十字路の右側に十一基の石塔が見られます。向かって右の五基は「馬頭観音」で、六基目は「光背型」の「聖観音像」と見られます。左側の五基が「庚申塔」です。
右から「文化十四(1817)年」と年号のある「庚申供養塔」、以前は笠付型であったようですが、現在は見られません。次は「庚申塔」とある「大正九(1920)年の建立の柱状型の塔です。次に見られるのは「明治十四(1881)」年造立の「猿田彦大神」と刻字された笠付型の塔です。その次は少し低いですが、「宝永元(1704)年」造立の「青面金剛像」で「剣人六手」が彫られた石塔です。
正面から見て、いちばん左の石塔に注目して欲しいのです。造立は「宝永七(1710)寅年」の十一月晦日(みそか)となっています。正面は「青面金剛像」ですが、「合掌六手」で、三猿は正面と左右の面に見られます。さらに注目すべきは、右の側面に「加うゑん方村」と刻字されていることです。他の「庚申塔」に見られない文字が刻字されていることに感激をいたしました。
高円坊地区には「八ヶ所」で55基を数えるということです。他の所も回ってみたのですが、『三浦の散歩道』も大詰めに近づいていますので、他の機会にゆずりたいと思います。
(つづく)
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