”わたし”の京急油壺マリンパーク 連載 ともに歩んだ53年に感謝 三上成次さん(マリンパークスタッフ)
最後の日まで見届けたい
1968(昭和43)年3月16日、開業に先駆けた社員募集で、水産高校の生徒を積極採用していたことが縁となり、県立三崎水産高校卒業後に入社しました。
最初に配属された魚類飼育は約10年。魚の習性をショーとして見せる展示方法は、今も受け継がれています。ある日、昭和天皇がご来館された際もショーを担当し、ご観覧いただいたことを思い出します。
その後、屋内大海洋劇場ファンタジアムのオープンを前に海獣飼育へ替わり、初めてイルカを調教しました。当初は小網代の海でトレーニングしていたこともあり、雨風が強い日はウエットスーツを着て沖に向かったりと、とにかく根気が要りましたね。
営業職を経験したのち、再びイルカの担当になり、後進の育成にも携わりました。近年は女性のトレーナーが多いですが、昔の水族館の仕事は男の仕事でしたから、ずいぶん変わりました。
生き物の命を扱うことの責任の大きさなどを感じて、辞めたいと思うこともありましたよ。でも、今でこそ「やって良かった」と思っています。定年退職した今も週5日、お世話になっているくらいですから。最後の日まで見届けます。
◇ ◇ ◇
油壺マリンパークは青々とした広い芝生広場と豊かな緑、海を臨み、富士山を眺望するいい水族館です。
私は小網代区の区長も務めており、地元住民の1人としても閉館はショックでとても寂しいですが、19歳から72歳まで、53年間という長い間お世話になり、自分のやりたいことができたことに、感謝の言葉を伝えたいです。
このコーナーは、今年9月末で閉館する京急油壺マリンパークの思い出を、ゆかりある方々に振り返ってもらう特別企画です。
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