「平塚の空襲と戦災を記録する会」の会長を務める 江藤 巖(いわお)さん 中原在住 82歳
空襲体験 平和考える契機に
○…1945年7月16日、B29の編隊が投下した大量の焼夷弾は、一夜にして平塚を焦土に変えた。多くの命を奪った戦争の悲劇を二度と繰り返すまいと、「平塚の空襲と戦災を記録する会」ではこれまで250人を超える空襲経験者の証言を集めてきた。18日、6人の語り部を招いて講演会を企画する。
○…両親と姉、兄、妹、弟の7人で暮らしていた12歳の時、自宅の西側から火柱が立ち、同時に「豪雨のような音」が鳴り響いた。とっさに自宅近くの防空壕へ走りだした途端、焼夷弾がさく裂した。「辺りが真っ青になり、身体が燃えるような熱さに見舞われた」。自身と弟は炎に包まれ大火傷を負い、妹はその場で息を引き取った。防空壕にいた姉は足を切断し、病院へ向かう道中で絶命した。ともに病院に向かっていた弟も、治療を待たずに命を落としたという。
〇…「空襲の体験を話すことは家庭内でもタブーだし、職場ですら話したことがなかった」と、凄惨な体験を口外する機会はほとんどなかった。転機は20年前。市博物館が開催した空襲50年の展示会に足を運ぶと、学校日誌の中に弟妹の名前を見つけた。「日誌を見つめていると、2人が訴えかけてくるように感じた。何かしなくては、と衝動に駆られた」と、その日のうちに入会を決意。講師として学校の授業に出向くなど、戦争を知らない世代に向けて自身の経験を伝えている。「戦争など惨めなこと。絶対にやってはいけない」と噛みしめるように話す。
○…「平和を望む人はすごく多い。けれど、反応が少ないのでは」と、若者の平和に対する意識の希薄さに危機感を覚える。時代と共に風化していく戦争の記憶を、自身の声としてつなぎ止める使命感が、80歳を超えた体を突き動かす。「誰かがやってくれるからと期待せず、平和は自分たちでつくらないといけない」。戦後70周年という節目が、その契機になればと願う。
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