創立40周年を迎える大神工業会の会長を務める 三浦 登志夫さん 大神在住 71歳
受けた分だけ恩返し
○…日本列島を襲った台風19号は平塚市にも爪痕を残した。とりわけ相模川流域の被害は大きく、大神スポーツ広場もその一つだった。隣接する大神工業団地の安否を懸念した市から連絡を受けたのは台風が通過した直後。幸い大きな損害はなかったが「気にかけてくれることがうれしかった。我々に何かできることはないか」と考えた。工業団地に入る32社で構成される大神工業会のトップとして、災害義援金の寄付を決めた。
○…夕陽ケ丘に生まれた。幼いころからスポーツが好きで、港小・太洋中時代は野球に明け暮れた。プロの世界を夢見ていたが、15歳の時に父が脳溢血で倒れ、高校卒業と同時に家業を継いだ。自動車の金型や機械部品を製造する三浦製作所の二代目として一心不乱に働いた。原動力は、まだ幼かった弟たちの存在。「自分が食わしていかなくては」と寝る間も惜しんだ日々を回顧する。
○…大神工業会に入ったのは経営者として軌道に乗り始めた30歳の時。当時は50社以上が名を連ね、各社の工場では重機がフル稼働し、騒音の苦情は日常茶飯事。数千万、数億円の設備投資も珍しくないそんな活況の時代だった。あれから40年。リーマンショックの影響は特に大きく、ここ10年で倒産や廃業が相次ぎ、騒音の苦情もずいぶん減った。
○…製造業を取り巻く環境は変わりゆくが、「代替りをし、希望をもって仕事に励む若い経営者もいる。皆で連携していけば道はある」と前を向く。昨年、最愛の妻に先立たれつらい時間を過ごしたが、今その表情は明るい。「ここまで来ることができたのは工業会の先輩方や関係者、家族のおかげ。受けた分だけ恩返しをしたい」。会長として経営者として、まだまだ汗を流す。
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